本作は三部構成で進行する。
冒頭:決闘開始のシーンが少し
第一章 ジャン・ド・カルージュにとっての真実
第二章 ジャック・ル・グリにとっての真実
第三章 マルグリット・ド・カルージュにとっての真実──真実
当然、「反復」であるから、「差異」は何かを考えながら見なければならない。
ジャンとマルグリットが夫婦であり、ル・グリとジャンが旧友である。
もっとも、ル・グリが領主のアランソン伯ピエールと仲が良いのに対し、ジャンは仲が悪く、土地や税金、官職のことで、次第に二人の仲は険悪になっていく。
そして、マルグリットの知性と美しさに虜になったル・グリが、おそらくはマルグリットも「嫌よ嫌よも好きのうち」という風に解釈して(なにせル・グリはイケメンなので)レイプに及び、ジャンの「財産への侵害」をしたとして、決闘裁判に至る・・・というものである。
***
基本的には、最後の決闘裁判(史実)を題材に、フェミニズム的、あるいはそう言うことが色々なものをそぎ落としてしまうとして言い換えるならば、「現代の」女性の目線をマルグリットに反映させつつ一連のレイプ事件とその前後についての状況、特にセカンドレイプを克明に描き、告発する話と言う風にまとめられるであろう。
***
1.3つの視点と異なる記憶
本作の三部構成の見どころは、大筋の事実関係は変わらないのであるが、「主観」によって相当に事実が変わって見える、あるいは記憶されるということを意識している点であろう。
たとえば、一番衝撃的なル・グリによるマルグリットへのレイプシーンでは、ル・グリ主観の場合とマルグリット主観の場合では、おおよそ以下のような違いがある。
①時間
ル・グリ主観では短いが、マルグリット主観では長い。
②抵抗の程度
ル・グリ主観ではマルグリットがあまり抵抗しなかったように見えるが、マルグリット主観ではマルグリットは唾液を垂らし、涙を流しながら必死で抵抗していることがわかる。
③発言
ル・グリ主観では「ついにこの日が来た」という、マルグリットのスカートをたくし上げたところでの発言がまるまま抜けているが、マルグリット主観ではル・グリは「ついにこの日が来た」と言っている。
・・・とまあ、たとえ同一の事実であっても加害男性側からすれば概ね「抵抗はなかった、あるいは弱かった」という認識に、他方で被害女性側からすれば概ね「必死で抵抗した」という認識になるということを浮き彫りにさせていたように思う。
他にも、マルグリット主観では、ジャンがパリからの帰還時にマルグリットが胸元がはだけた大胆な以上をしていたことから、門のところでハグせずに居城内に入っていたのに、ジャン主観では熱烈なハグをして居城内に入ったことや、マルグリット主観ではマルグリットがル・グリにレイプされたと告げた際に、ジャンがマルグリットの首を絞め挙げて本当かどうか問いただしているのだが、ジャン主観では単に問いただしただけになっていたりと、当時の「男性」がたとえ「夫」であれ、「女性」というものを物同然に見ていたのだということを推認させるとともに、さすがに物でないとは認識できる現代においてもなお根強く残る女性蔑視やレイプに関するセカンドレイプにつながる思考の癖(これは被害者以外の女性側もそう)を推認させ、さらに、自分の都合の悪い事実は容易に変容させて記憶させてしまうものであるということを推認させるような作りである
2.セカンドレイプ
マルグリットがル・グリによるレイプをジャンに打ち明けてからがまた悲惨である。
ジャン(夫)からはまず首を絞め挙げて尋問され、そのあとには(ピエールに対抗するためとはいえ)領内にレイプの噂をばらまかれる。そのときには、マルグリットはやめてくれというのに言うことを聞かない。これには、当時の夫から見た女性が物であるという観念だけでなく、多分にル・グリへの対抗心も絡んでいたのであろう。
しかも、のちにわかるがマルグリットは妊娠しており、決闘裁判で負ければ子供が両親を失うことになってしまうのである。
義母からは「私だってかつてレイプされたけどなんとか立ち直ったし命はある。でもお前が告発したせいで息子が死にかかっている」と言われ、
女友達からは「え?いや、だってル・グリはイケメンだって言ってたやん??」と言われ、(しかも後で裁判の場でそのことをリークされるし、)
裁判の場に居る裁判官は全ておっさん、しかも「夫とのセックスで絶頂に至ったことがあるかどうか」であるかや、「ル・グリをイケメンだと言ったことはないか」など、プライバシーについて根掘り葉掘り聞かれるし、
まあ最悪である。
しかし、現在のレイプ事件でも、たとえば女性警察官による担当や裁判時におけるビデオリンク方式での尋問など、幾分被害女性の保護がなされてきたとはいえ、社会からの偏見も含め依然根強いいわれなき差別があるのだろうと思う。
3.ル・グリがイケメンである点について
ここもいい点を突いていたと思う。
レイプ事件は深夜に侵入してなされるといった場合でなくとも、いい感じの雰囲気にはなったものの、合意の有無を明確に確認しないまま自分に自信を持つイケメンによってなされる場合もそれなりにある。
そして、その場合、たとえば被害者と加害者が顔見知りで、しかも共通の友人がいたりすると、まさにこの映画のように、「え、タイプって言ってたじゃん?」みたいな弾劾証人が出てくるという展開になりかねない。
しかし、「かっこいい」とか「素敵」とほめたことが、そのまま性行為の同意にはつながらない、これらの発言は合意の推認にあたって関連性がない、というマルグリットの叫びは、本当にそうだと思う。
もちろん、今回は、別に酒に酔って・・・とかではないのでよりレイプよりの評価になるが、ル・グリ主観ではどこまでレイプだと確信があったかは微妙であるかもしれない。
しかし、結局のところ、合意がなかった以上レイプはレイプなのである。
4.結末について
正直、ジャンが負け、マルグリットが裸で磔のうえ火刑でも(より悲惨さが強調されるとともに、神はいないことがわかるので)よかったのであるが、結局ル・グリが敗れた。
しかし、このジャン勝利ヴァージョンこそ、あるいはよりマルグリットに心の傷を残したかもしれないとは思う。
マルグリットの考え方を理解する者は、つまりマルグリットの心に寄り添った者は、家族友人含め誰もいなかったのであるから。
それこそが、最後の子供を見つめる彼女の、焦点の合わない目の正体であろう。
ただまあ、ラストの、野原で3歳くらいの子と過ごすマルグリットの映像と、ジャンが決闘裁判4年後に戦死し、マルグリットは再婚せず30年生きた、というエンドロール直前の文字挿入により、若干、本当に若干ではあるが、救われた感じはある。