人文学と法学、それとアニメーション。

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ルックスは果たして無関係か?━━『アイの歌声を聴かせて』覚書

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1 あらすじ

完全に今の日本の田舎の木造一軒家であるのに、そこに溶け込むAI機器。

たとえば、朝起きる際にアラームの代わりに対話型AIが語りかけてくる。

そしてご飯の炊き加減やみそ汁のネギを入れるタイミングでの火加減調整も口頭で指示できる。

周辺は田舎の田園風景であるが、路面に描かれた自動運転車進入禁止の文字や、田植えロボット実証実験中の看板、洋上メガソーラーパネル風力発電、そして星間のツインタワー・・・そういった、少しずつAIが取り込まれた、ひょっとすると近い未来の日本の田舎・・・そういったリアリティラインで物語が進むことが提示される。

***

ある日、「告げ口姫」として孤立した女子高生・サトミのクラスに、星間産業の研究室で働く母の実験機である人型AI・芦森詩音(シオン)がやってくる!

シオンの突拍子もない行動、特に突然挿入されるディズニー歌劇ばりの「歌」で、振り回されるサトミと、その周囲で互いに無関係であった、おそらくグループや性格がまるで異なるトウマ、サンダー、ゴッちゃん、アヤが結び付き、友人となっていく。

そして、素直になれずゴッちゃんを傷つけ喧嘩していたアヤが、そしてゴッちゃんも、シオンの仲立ちのお蔭で仲直り、というか以前よりも遥かに仲が深まり、そしてサンダーは柔道で初勝利を飾った。

そして、サトミの周囲の人を幸せにすればサトミが幸せになると考えたシオンは、残る一人、トウマを幸せにしようと、サトミとトウマを付き合わせようと、夜の海上メガソーラーにサトミを呼び出し、周囲の機器をハックし、なさがらディズニーのような色とりどりの花火や電飾で、トウマの告白をセッテイングするのであった・・・。

***

しかし、実験機シオンが学校外で無許可に活動していた事態が、サトミの母の失脚を狙う、西城と野見山の知るところとなり、海上メガソーラー施設でシオンには電気銃が3発も撃ち込まれ、他の5人は星間の警備部隊に捕獲され、本社で尋問される。

そして、サトミの母もパソコンを全て押収され、自宅謹慎になったようである。

そして、5人の親もまた星間勤務であることからシオンの件は黙っておくように言われ、しかも5人の所持するシオンとの思い出の詰まったあらゆる電子媒体が捜索押収されてしまう。

ところが、写真をなぜ撮るのかの問答の際にトウマに「バックアップ」の比喩を出され理解したシオンは、サトミの家で祝賀パーティをした際に、自身の「大切な記憶」の一部をネットワーク上にバックアップしていたのである。

***

それを(シオンに柔道練習マシーンのバックアップを移植した際に利用したゴミ箱型ゆえに押収を免れたサーバーを経由して)見つけたトウマは、そのシオンが、実は星間の新型AIなどではなく、自分が小さいころたまごっち型AIを改造し、サトミにプレゼントしたAIが、8年間、「サトミを幸せにして!」という小学生の頃のトウマの命令をきき続け、ネットワーク上を漂い続け、自己進化した人格的存在だったことが判明するのである。

ゆえに、シオンはディズニーのプリンセスの歌やセリフを再現できていたのである。

そう、シオンにこれらを教えたのは、小さいころのサトミだったのだ。

***
星間に回収され、記憶消去の対象になっているであろうシオンを救出しようと、5人とサトミの母は行動を起こす。

そして、西城の裏をかき、シオンの中のデータだけを、ホシマの屋上のアンテナから宇宙に逃がすことに成功する。

サトミとシオンの(ホシマの試作機を通じた)最後のやりとりは、サトミからシオンへの「私は今、幸せ!」というかねてからの問いかけへの返事と、「シオンは今、幸せ?」という問いかけであった・・・。

***

2 雑感

非常に雑駁で突拍子もない動きをし空気が全く読めないシオンが、いきなり呼び捨てにしたり歌いだすその粗暴さ(?)で、5人各人の心の機微を露わにしていく展開が、よかったのはよかったのだが、やや物足りなさもあった。

「秘密は最後に明かされる」が、この「粗暴さ」は実はディズニーのアニメをそのまま再現実化することの「粗暴さ」である。これは「フィクションと現実」論からしても大変面白い話ではあるのであるが…

基本構図は、シオンを「人として(?)」見ているサトミら6人とサトミの母vsシオンを「我が社の製品」としてしか見ない西城支社長一派という構図であるし、「お前は我が社の製品なんだぞ!」というセリフや海上メガソーラーパネルでシオンを捕獲する際の電気銃使用は暴力的だし、親が社員であることを利用した捜索押収も最悪だが、他方で小学生の頃のトウマに“命令”された「サトミを幸せにして」という命令を守り続け、さらに自己進化して省察を重ねるAI・シオンは、手放しで賞賛できるものではなく、少々恐ろしさも感じた。

これは、あのトウマからサトミへの電話をシオンが行い、夕日に浮かぶ風車とシオンの写真が添付されたメール、その直前に4人とシオンの間でなされたやや不穏なやりとりと、サトミと母とのAIが人を傷つける可能性についての話のシーケンスで流れる不穏な空気そのものである。

また、仮に話の大筋を、「実はシオンの歌は小さいころの自分がシオンに教えた歌だった、つまりサトミ自身(あるいは命令者トウマ)によって今のサトミが救われたのだ」という筋として理解してしまうと、やはりどこまでもシオンは物であり、独立人格ではない。しかし、そういう捉え方をするのには、どうも抵抗もある・・・

これは私自身、『イヴの時間』以来、「AIと人間」の関係をどう把握すべきなのか、もっといえば「AIと人間との恋愛」の関係をどう把握すべきなのか、自分の中で結論が出せてないからでもある。

イヴの時間』では、AI排斥派と親和派が出てきて、特に主人公の姉がAIに気持ち悪さを感じており、それはカフェ『イヴの時間』では良くないこととして──さながら人種差別や同性愛者差別のように──描かれているわけであるが、しかし、当たり前に自然人である黒人や同性愛者差別の比喩でAI差別(?)を語るのはやはりミスリードになる部分が多いのではないだろうか。

「AIと人間の関係」もっと言えばたとえばサンダーがシオンに寄せる素朴な恋愛感情のようなものを、素朴に良いものとして描く(『イヴの時間』でもそう)こと自体、大きく意見が割れうる問題であるのに、そこに西城らの暴力的行為軸でさらに明確に善悪についての価値判断を上塗りし、おまけにルッキズムの話をスルーするのは、かなり抵抗感がある。

もしシオンの外形が美少女ではなく田植え支援ロボットやゴミ掃除ロボットの外形であったなら、サンダーはシオンに恋愛感情を抱いていたか?と言われると、多分そうではないだろう。

その証拠に最後、サンダーは柔道の練習相手のロボ(三太夫)にシオンの「顔」写真を貼っている。

そうすると、これは「AIと人間」の外皮をまとった、単に「人間と人間」の間における美形選好(あるいはルッキズム)を素朴に称揚(まで行かなくとも追認)しているだけなのでは、と思わなくもない(同じ問題は、『VIVY』の佐々木博士のAI史上初の結婚のケースでも思った。もし看護用ロボットの外形が、あそこまで美しくなければどうだったか?)。

ただ、他方で、いわゆるルッキズムとは社会的地位を外見で決めることの問題にすぎないと思われ、個人的選好の話までは行かないだろうとも思うところでもあり、正直まだよく整理できていない。

どうやら差し当たり、AIではなくまずはルッキズムを正確に理解するために、タイムリーに出された現代思想ルッキズム特集を読む必要がありそうである・・・(未完)