人文学と法学、それとアニメーション。

人文学と法学、それとアニメーション。

2024年の不安定で未来の見えない日本より、愛を込めて。──水島努『終末トレインどこへいく?』評註

2024年4月18日現在、3話まで放送されていないが、現時点でのメモと予想を残しておく。

 

1話の7Gによる世界変容は、トランプ支持者による16日に結実し、またコロナパンデミックにより膾炙したワクチン=5G陰謀論の示唆であり、2話の寄せ波は3.11津波であろう。そして3話のキノコの見せる幻覚世界=アメリカならオピオイドだが、それに頼ってはダメというメッセージ。

 

いきなり動物になる世界は、フランス現代思想家、カンタン・メイヤスーの哲学っぽい。また、政府ではなく宅配業者が公共のために動いているあたりも、Amazn帝国の新自由主義を想起する(『さらざんまい!』もカッパマゾン=資本主義=欲と仏教=解脱の話でしたな)

 

というわけで、先の見えない2024年日本の暗喩としてしか見れない『終末トレインどこへゆく?』。

 

白紙の進路指導票は『劇場版少女歌劇レヴュースタァライト』『リズと青い鳥』『アリスとテレスのまぼろし工場』にも登場する、若者の未来の未定さを表すキーアイテム。

 

そして列車は人生の比喩(それこそ『劇場版少女歌劇レヴュースタァライト』まんまだし、あるいは『輪るピングドラム)

 

そしてモールス信号はSNSコミュニケーションの対極。つまりはスローコミュニケーションをファストコミュニケーションの優位に置く。そもそも7Gなのにスマホが使えなくなった世界という設定がまたよい。

 

そしてエンディングが示唆するように「やさしい人」と「頼れる人」になることが──もちろんそれは横の水平連帯が前提であるが──たぶん、不確かな未来しか見通せない2024年の日本の若者にとって、大切なこと。

 

そしてもちろん、列車の行く先が池袋=未来=(会えるかどうか不透明な)友人のところなのもまたよい。

 

しかし、自伝的アニメである『SHIROBAKO』といい、水島努はどうも、目の前にある現実しかアニメに起こせないようである。

 

あと、エンディングがTRICK鬼束ちひろの『月光』っぽさがある(本編の世界観も?)