人文学と法学、それとアニメーション。

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映画とプラネタリウムの相似性──三宅唱『夜明けのすべて』評註

うまくやりたいのに、うまくやれない。

現代社会は非常に高度なコミュニケーション能力ないし素質が必要となり、その能力を欠く人間を社会の外に弾き出す。特に、長引く経済不況と新自由主義的思考様式・行動様式の浸透と自己責任言説の流布・繁茂により、その傾向は極めて強くなっている。

瀬尾まいこか、三宅唱か、あるいは双方の力かはわからないが、あまりにもうまくピースをはめすぎていて、あまりにもきれいにまとまっている。

PMSパニック障害。他人にはちょっと言いづらいが、他方で配慮がないと日常業務がままならない。そういった特性は個人の生きづらさに繋がる。あるきっかけがあり、秘密を共有するようになった男女二人。しかし性愛には至らない。そういう、ぎこちない、おそるおそるコミュニケーションをとる、そうした若者たちの、ちょっとした気遣いの話。ここまでは同じだけど、ここからは違う、そういった違いを、分断(「かわいそうランキング」トップは私の方だ!)ではなく、連帯に繋いでいく。この会話のぎこちなさや間、あるいはPMSがつらくていきなりキレたり無気力になったりする様子、パニック障害の様子は、言葉で説明するよりは映像化になじむ気はした。

PMSパニック障害も、規範的・理想的に措定される完璧な近代的個人のモデルからは外れる存在である。特にパニック障害に苦しむ青年は、それまではバリキャリで意識高い職場にいたようであり、お菓子コミュニケーションを嫌っていた。

本作もまた近時のケアの倫理よろしく、現実の弱い個人を軸にした連帯の話である。そして近親者が自殺した遺族や、母子家庭、足を負傷し介護が必要になった親の介護(介護離職)の話もまた、本作の重要な要素として描かれる。

コンステラツィオンは星と星の関係性の話だから、人間と人間の関係性、つまり人間関係の比喩としても多様される。

「髪を切りすぎる」エピソードは、ともすれば踏み込みすぎてコミュニケーションの失敗になりえたのだが、たまたま今回は二人が深いコミュニケーションをとるようになるきっかけになった。『響け!ユーフォニアム』1期のサンフェスで、北宇治吹奏楽部員の動揺を抑えるために、禁止されていたトランペットの音出しを1年であえてやってのけた高坂麗奈の賭けによく似る。

ただ、中小企業でおじさんおばさん主体でパワハラセクハラや陰口がおよそないのはある意味ファンタジーではと思わないではない(まぁそれ故に観る側の心理的安全性もまた担保されていたわけであるが。「大きな声出さないでよ…」(千早愛音))。

しかし、「明けない夜はない」という「色即是空空即是色」ないし「万物流転」的考え方から、苦しみはいつかは寛解する(希望はある)、という方向のまとめよりは、「ずっと真夜中でいいのに」の方が好みではある。社長の弟があれだけ素晴らしい言葉を残しながら、結局自殺したことには違いないのだし。

 

ただ、ラストの栗田科学のある一日の長回しショットはとてもよかった。あの直前にある子どもたちによる栗田科学インタビューの映像に、皆と一緒に朝の体操を行う藤沢さんが映っていたことと、パラレルである。

夏目漱石『それから』に言う、「自分ができあいのやつを胸にたくわえているんじゃなくって、石と鉄と触れて火花の出るように、相手次第で摩擦の具合がうまくゆけば、当事者二人の間に起こるべき現象である」(夏目漱石『それから』37-38頁)、その火花が散った一瞬を捉えられるのが映画なら、星々の一瞬の瞬きを捉えられるのがプラネタリウムである。