人文学と法学、それとアニメーション。

人文学と法学、それとアニメーション。

「魂のレヴュー」における「魂・契約・animus」——『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』評註その3

「権利能力は総て法律の付与するところであり、法律によらずして、当然権利能力を有するものはない。従って又如何なるものが権利能力を有するやも成法の決するところである。ローマ法の如く、私法を以て個人意思の支配域なりとし、総ての私法関係は個人意思を根源とする法制に於ては、権利能力を有し得るものは意思を有する人間であり、意思主体たる人間のみが権利主体であるとなさねばならぬ。」(石田文次郎『現行民法総論』(弘文堂書房、1936年第9版)47頁)

 

「近世法が、すべての個人に権利能力を認め、これを人格者(Person)とすることは、個人について、他人の支配に属さない自主独立の地位を保障しようとする理想に基づく。それなら、近世法は、この自主独立の人格者をして、いかなる手段によってその生存を維持させようとしているのであろうか。一言にしていえば、私有財産の絶対を認め、契約自由の原則によってこれを活用させようとしているのである。」(我妻栄『新訂 民法総則 民法講義Ⅰ』(岩波書店、1980年第17刷)46頁)

 

「近世法は、行為能力についても、個人本位の思想に立脚する。すなわち、人格者たる個人は、自分の正常な意思に基づいてのみ権利義務を取得すべきものである、という根本理論」(同48頁)

 

さて、かかる法人格概念の形成の際に、哲学的思考、そして近代演劇における「人格」概念が作用していたことは周知の事実に属する。

 

そして、天堂真矢と西篠クロディーヌの間でなされた「魂のレヴュー」においては、このことがひときわ強調されていたように思われる。

 

レヴューの中では、どのような役でも演じられる、感情や欲望とは無縁の「空の器」こそ、天才・天堂真矢の目指した「舞台人」の理想であると真矢自身により提示される。

 

それに対して、「お前が空の器だとすればおれが契約を結んだ相手はどこだ、魂はどこだ」というクロディーヌの台詞が出てくる。

 

これは、直接的にはレヴュー冒頭の舞台人(真矢)と悪魔(クロディーヌ)との、舞台人の魂を賭けた契約のことを指して言っているのであるが、この台詞には、それにとどまらない含意がある。

 

すなわち、「魂」=animusであるところ、animusはまた「意思」のことでもある。

 

つまるところは、「人格」の前提に存在するところの、二分法では身体=corpusに対置されるところの「意思」=animusのことである。

 

近代民法の契約理論においてはこの「意思」(=animus=「魂」)がなければ、契約は無効になる。

 

悪魔(西篠クロディーヌ)の、「騙された!これじゃあ契約が成立していなかったじゃないか!」という悲嘆は、「魂」=animusがない以上、animus=「意思」もまた存在しないのであり、契約不成立を導く以上、法学理論的に見て極めて正しい嘆きなのである。笑

 

もっとも、より原理的(・メタ的)に考えると、本来アニメキャラクターに過ぎない天堂真矢が、animusを持ちうるはずがない。

 

紙にペンでそういうキャラクターが描かれているだけである。

 

しかし、全てが「舞台」の上の出来事であり、全てのキャラクターが「役者」であるアニメーションの中に再度「舞台」を設置することの意味は──ことのほかキャラクターらによって「本気で」「血がたぎるように」etc.演じるよう求められているということが明示される『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』においては──現実世界で行う舞台の持つ意味からは逆転し、むしろ現実を舞台の上で再演しなければならない。つまり、そこ(ワイルド・スクリーン・バロック)でこそ彼女たちはキャラクター=役者のペルソナを外した「生身の(あるいはワイルドを厳密に反映すれば「野生の」?)人間」として魂=animusに従って振る舞うことができるのである。つまり、舞台の中の舞台においてはじめて、アニメキャラクターは役を捨て、生身の人間として振る舞うことが可能になるのである。

 

神話→儀礼→脱儀礼という思索の蓄積を経て誕生した、近代演劇における舞台上での役者が「人格」を獲得した近代の「人格」及び「自由」観念の成立と、その「人格」観念を法理論に翻訳して作成された「意思」理論、さらにその「意思」理論を基盤とする契約法観念を踏まえると、『劇場版少女☆歌劇レヴュースァライト』における「舞台」の意味と、「魂のレヴュー」における「魂animus」と「契約」(の前提にある「意思animus」)との同一性を前提に、そこと「舞台」=「レヴュー」を結び付けていることはあまりに出来過ぎた描写であると言わざるを得ない。製作陣には、近代演劇と近代民法意思理論に非常に深い理解がある人間がいたと考えられる。

 

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西篠クロディーヌ「今のアンタが一番かわいいわよ!」

 

天堂真矢「私はいつだってかわいい!」

 

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