人文学と法学、それとアニメーション。

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フィクションを通した現実変容――『ゾンビランドサガリベンジ』10話

ゾンビランドガリベンジ』10話、令和はじめの佐賀の危機がすなわち佐賀が人々から忘れられることならば、『ゾンビランドサガ』という作品が話題作りになり佐賀が注目を集めている時点で実は既に目的は達成しているとも言える。

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作中でのフランシュシュの目的たる佐賀が注目されるようにすることと、作品外の現実での作品の目的である『ゾンビランドサガ』及びフランシュシュが話題となり佐賀が注目されるようになることが同一化して、まさにフィクションが人々の認知を媒介に現実変容を惹起している。

 

一番近時の例では『邪神ちゃんドロップキック』が北海道の自治体の出資を受けてPRアニメを作成したように、アニメが観光振興に利用されること自体は珍しくはないが、『ゾンビランドサガ』はアニメの中のフランシュシュの目的自体が実在する佐賀県の振興、PRという意味で特殊である(実在しない学校の振興だと『ラブライブ!』がそうであるが)。

 

かなりメタ的な回であった。

 

しかし、前回の8、9話の夕霧の過去篇、「佐賀事変」篇で描かれた、反中央集権、地方自治=民主主義といった、まさに領域=佐賀を舞台とした以上十分考えられる筋書きではあったが描かれていなかった話が出てきて、ゾンビランドサガの持つ緩い雰囲気が一気に鋭く政治化するなど、極めて核心的な話が続いている。

 

ゾンビの存在に気づき死者の尊厳を語る記者の存在をも踏まえると、これは「死者の尊厳」「遺族の尊厳」の話もあと数話ないしは3期には扱うんじゃないかな、おそらく。

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フランシュシュ0号、山田たえの過去とか全然判明しとらんしな。笑