人文学と法学、それとアニメーション。

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善いことと悪いことーー『羅小黒戦記』覚書

対立関係にある人間と妖精の中にも穏健派から過激派まで思想の側面一つとっても様々な人間、妖精がいる、ことを前提に、最初過激派(フーシー一派)に拾われた子供妖精シャオヘイが敵たる人間(かつ妖精の穏健派と組む)ムゲンと行動を共にしているうちに価値観が熔融し、フーシー一派によるシャオヘイ奪取のための電車テロと、その後のシャオヘイの能力を使った失地回復計画(=不可避的に人間への大規模テロになってしまう)を目の前にして、ムゲンに示唆された「善悪」の判断能力(「お前は善悪がわかるのか?」「当たり前だ」「ならいい」)を使うことで、明確にフーシーの思想を否定しきれないものの、「現占有はひとまず尊重すべきではないか?」(=「たぶんよくないこと」)という判断をベースに協力を拒絶し、ムゲンと共にフーシーの野望を砕く、という話であった。

 

シャオヘイ=観客の目線からは、味方フーシー・敵ムゲンの構図が、途中ムゲンを慕う御館の一派の登場、列車テロと人間への危害、フーシーのシャオヘイからの能力剥奪と行使を経て敵フーシー・味方ムゲンにくるりと入れ替わる。

 

フーシーの計画にシャオヘイが協力した可能性があるとすれば、それはシャオヘイ奪取のための電車テロでシャオヘイに「ありがとう」と告げた女の子を危険にさらさず、かつ計画が人にも妖精にも危害を加えないほとんど実現不可能な理想的なものであった場合に限られよう。故に、シャオヘイがフーシーに協力した可能性はほぼ0である。フーシーがシャオヘイの意思を無視して無理やり能力を剥奪した点は大きな問題ではない。

 

直観的には『平成狸合戦ぽんぽこ』と『プロメア』をミックスした感じであり、故に「結局現状肯定ではないか!」という両作への批判がまたぞろ本作にもあたることになると思われるが、他方、本作では人間サイドで犠牲になる平和裡に暮らしているだけの個々人が具体的に描かれており、単に侵略者/被侵略者という抽象的な構造をダイレクトに扱うのではなく、それを背景としつつもより具体的なレベルでの「善悪」(大義のための占有侵害の可否)を問う作品だったのだろう、ということは強調しておきたい。

 

※ムゲンを慕うキツネの妖精がとても可愛かった。

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