人文学と法学、それとアニメーション。

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測定できない未来への賭け──『地球外少年少女』評註

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磯監督の異色の出来の前作『電脳コイル』で出てきた各種デバイスやキャラクターたちを彷彿とさせ、その正統進化を思わせる数々のモノたち。宇宙=無重力での人体の動き。シナリオから目を外し、単に目に見えるものや動きを追いかけるだけでも十分に楽しめる。
 
また正面からAIモノを謳った『アイの歌声を聴かせて』が拍子抜けの期待はずれだったのと比べると、AIやシンギュラリティについての考察は『宇宙外少年少女』の方がより真に迫っていたように感じる。特に、セブンに「人類」ではない個々の「人間」観念をフレーム化して教えるところと、深層学習の制限解除からのシンギュラリティ(ルナティック)、さらにダッキーとブライトがさよならを言わなかったところの部分が印象に残る。
 
登矢と大洋の地球外誕生児/地球人やハッカー/取締官といったディコトノミーが2人が協力して問題解決に当たる中で次第に信頼に変わっていく描写も見事である。分節からのbona fides樹立というお手本。
 
また、那沙たちの信仰ないし信念もある意味理解できるところである(『インフェルノ』でも人類の増加に警鐘を鳴らしバイオテロを目指すゾブリストという似た思想の資産家が出てくる)。ただし、那沙はオウム真理教あるいはピング・フォースの実行犯たちとは異なり、テロに至るその前に、セブン・ポエムから得た未来に対する自身の確信が、しかし揺らいだその一瞬、違った未来=希望が見え、結果的に登矢と心葉を救うことになる「フィット」の言葉を託すことができるのであるが。
 
心葉がかつて見ていた未来のヴィジョンでは、登矢の手と心葉の手は離れてしまう。しかし、那沙からもらった、将来大切なタイミングで覚えておけと言われた謎の言葉「フィット」(=適合する?)という言葉どおりに、まずは登矢が諦めず、すでに結ばれた自身の左手と心葉の右手にさらに自身の右手を合わせ、手を離さない。続いて、心葉も左手を伸ばし、登矢の腕を握り返す。これで、2人が助かることになる。つまり、未来は全知全能の神に近いセブン2にしても、なおまだ測定不能だというのが劇中現実の示唆であり、だからこそ「ゆりかご」の外に出ようとする少年少女の不確定な未来への賭け、努力は、なお無駄ではないのである。
 
数日前には埼玉でコロナ禍下で熱心に在宅医療を行なっていた医師が元患者の遺族に射殺される事件、少し前では大阪の心療クリニックで多数の死者が出た元患者による放火殺人が起きるなど、政治が国民を見捨て、社会がどんどん荒んでいく2022年日本社会に、僅かではあるが希望の光を示してくれるとともに、2019年『天気の子』、2021年『Sonny Boy』と共鳴する作品であった。
 
感謝を。