人文学と法学、それとアニメーション。

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人というもの──呪い、友情、愛、理想と挫折──『劇場版呪術廻戦0』覚書


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1. 友情と自信

これは原作の0及び本筋からしてそうであるが、呪いを軸とする以上、人と人との繋がりのあり方の話が根幹にあるのは間違いない。しかし、0の映画は、乙骨憂太の声優に緒方恵美を起用し、エヴァンゲリオン碇シンジの筋を想起させつつ「誰かと関わりたい誰かに必要とされて生きてていいって自信が欲しいんだ」という象徴的なセリフで示されるように、乙骨憂太が禪院真希、パンダ、狗巻棘それに五条悟といった極めて個性的なメンバーとコミュニケーションをとることにより「自信」を獲得していく話である。前半はまさにこの筋であり、折本里香は後景に引いて、乙骨憂太と禪院真希、パンダ、狗巻棘とのコミュニケーションが描かれる。これは、友情と自信の話である。

 
しかし、本作にはあと2つ軸がある。
 
それは乙骨憂太と折本里香の愛の話。それと夏油傑が闇落ちするまでの話。順に述べる。
 
2. 愛と呪い
乙骨憂太に、持論だと言いながら、「愛ほど歪んだ呪いはない」と言う五条悟。
その通り、結局、夏油傑の化身玉藻前と4461体の呪霊と大義に打ち勝ったのは、乙骨憂太の、そして折本里香のごくごく私的で自己中心的な「純愛」なのであった。
私的なことは公的なことなのである。
 
3.弱者救済が弱者必滅に至るまで
かつて「弱きを助け強きを挫く」ことを目指した、夏油傑が、なぜ「強きを助け弱きを挫く」選民思想に傾いたのか、その理由は劇中では詳にはされなかった。これはコミックス本編の話であるが、(そして美々子と奈々子が夏油傑についていく理由として語られる過去の話で示唆されているが)、かつてある村で呪術師に対し非呪術師が行った非道でストッパーが外れてしまい、村人100人余りを呪殺してしまう。理想の高さゆえに、非呪術師=一般人=「猿共」の愚行がもはや許せなくなり、非呪術師皆殺しと呪術師=エリート独裁に走るのである。その憤り、絶望そしてエリート主義へ至る道は、とてもよくわかる。もし夏油傑が、天才・五条悟の能力があれば、つまり「弱きを助け強きを挫く」を貫徹できるヒーローだったならば、闇堕ちせずに済んだかもしれない。しかし、夏油傑は五条悟ではないし、五条悟は夏油傑ではなかった。ないのだ。だから夏油傑は闇堕ちしたのだし、五条悟は夏油傑を殺さなくてはならなくなる。この雑踏の横断歩道での2人の回想シーンは映画でのオリジナル挿入であろうと思う。五条悟の夏油傑への「信用」は、思想内容ではなくそのインテグリティへの信頼である。そのようなインテグリティを貫ける夏油傑のような高潔な人間が闇堕ちしないルートを作出できるかは、残された者=我々の課題であろう。