人文学と法学、それとアニメーション。

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自身への赦し──『ゴジラ-1.0』覚書

自分は、過去に罪を犯したから、楽しく生きてはいけない人間だという暗示に、人はかかることがある。

 

神風特攻隊として散らなかったことも、島でゴジラに発砲できなかったことも、本来、敷島が責任を負うべき事柄ではなかった。が、気にしてしまったのならば、仕方がない。「まだ戦争が終わらない」のもわかる。が、それが単純な報復譚になっているのはしょうもない。折角、太平洋戦争直後の復員兵で機雷除去という主題を扱う意義が、「内省」ではなく「ゴジラ抹殺(再軍備)」なのはどうなんだ。しかも、民間主導だから問題ナシという風潮だが、民間主導だからこそ反省抜きの実力形成はリスキーなんだがなぁ…。しかも主力は旧軍だし。

 

最初の島でのゴジラの迫力は凄く、心底怖かった。映画館ならではの迫力である。

 

①「俺の戦争はまだ終わってないんです。」その結果、ノリコと結婚もできない敷島。ベトナム戦争症候群あるいはPTSDについてそれも日本の復員兵について扱っている点、②関連して、日本軍人男性の弱さを扱っている点、③犠牲者を一人も出さないゴジラ作戦である点、④関連して、旧日本軍人に「我々は命を粗末にしすぎました。」と述べさせ、補給の脆弱性による死や神風特攻隊批判をした点、⑤ノリコも結局生きていた点、⑥敷島、ノリコ、アキコという、全員血の繋がらない疑似家族を描いていた点など、良い作品だったとは思うが、他方で近時流行りの「良い話」「ハッピーエンド」の二番もとい四番煎じくらいであり、全く新鮮味に欠けていた。『ゴジラ』のタイトルを使い、また庵野秀明シン・ゴジラ』が2016年に作られたのだから、もう少し先に進んだ話を見たかった。ゴジラ襲来をわざわざ太平洋戦争直後にした意味が、単にかわいそうにかわいそうの上塗りを指し示すフックにしかなってない。

 

ま、あのアキコの涙を見なくて済むのと、ノリコが生きてただけで満点ではあるんですが(チョロい)。

 

???「物語はハッピーエンドがいいよ…。」

 

さて、確認しそこねたんですが、ゴジラ核ミサイルで皇居は消し飛んだんですか??