広島カープの野球帽を被った少年が島にいる時点でもうお分かりのように、本作の主題は平和主義、それにラストのザク廃棄を含めれば戦争放棄であり、憲法9条で規律される事象である。
左の思想性が強い!笑
(もっとも、「現状」から遊離して「何か」を考える=「反省」する人間は、必ず左に寄ることになるのではあるが)。
提督がミサイルが上空で自爆してのち「ツキはこちらにある」と言ったところからしても、「登場人物がなぜ上手くいくのかわからないがとにかく上手くいってしまう」という「喜劇」の筋立てになっている。
ザク=戦力を放棄したにもかかわらず(いや、憲法9条の真の意味を理解する者からすれば、「だからこそ」なのであるが)、ドアンと子供たちが犠牲にならず、元のままの生活を続けられるというハッピーエンドを超えたハッピーエンドもまた喜劇の読みを担保する。
ミサイルが花火に変えるドアンの「仕事」の成功により大規模都市の消滅を免れた点も同じである。
マ・クベの対処はまさに喜劇にふさわしく、また非常に高い教養とユーモアがある対処である。
「我が部下にも芸術を愛する者がいたか!」
これには笑わずにはいられないし、まさに神は再び微笑んだのである。歴史は繰り返すものなのだなぁ!(感嘆符)大量殺戮を諦めるにはちょうど良い。笑
2. 描写不足
(1)ドアンの逃亡動機
なぜドアンが子供ら(おそらく戦災孤児)を引き連れて島に篭っているのかの説明が乏しい。
確かに自分たちの攻撃で母が潰され横で泣きじゃくっている少年に心を打たれたには違いないが、それがいきなり脱走につながるものか?
ドアンは軍人としてこれまでどうやって対処してきたのか…(困惑)
何か転機となるような出来事(たとえば自分に子供ができた、とか)があればわかるが、そういった描写もない。
よくわからない。
(2)ドアンの元恋人?
匂わせるなら過去をちゃんと描いて、過去をちゃんと描かないなら出さないで。
3. 「翻案」なのならば
(1)なぜ子供たちを戦場に出した?
モビルスーツ同士が闘っている場に軍人が生身の子供たちを伴って出て行くのはその危険性からするとあり得ないだろう。リアリティを欠く描写である。
男の子らしい/女の子らしい役回りの描写多数。「当時」の時代的制約はあるだろうが、わざわざ「翻案」と銘打つなら「現代」的観点(性役割分業ステロタイプの放棄)から再構築してもよかったのでは?というか、再構築すべきだったのでは?
(3)灯台点灯は迂闊すぎる
アムロの失点
(4)アムロが闘う理由も謎
アムロの失点