人文学と法学、それとアニメーション。

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神は人をひとところにとどめることもある──岡田麿里監督『アリスとテレスのまぼろし工場』評註



 

公開初日、915()に観てきました。

 

海に面した製鉄所のある見伏町の中学3年生・菊入正宗は、同級生の笹倉大輔・新田篤史・仙波康成らと、受験勉強中のある年の12月、製鉄所で起きた大規模な爆発事故の日から、空間的にも、時間的にも閉鎖された見伏町に閉じ込められて暮らしていた。

 

見伏神社宮司で製鉄所勤務の変人・佐上衛は、これを製鉄のために見伏神社の御神体の山を削ったがために起きた神の怒りだと、住民説明会で説明する。

 

しかし、正宗たちがいる時間の止まった見伏町の真相は、現実から遊離したパラレルワールドであり、街に現れる「罅」は、時間の進む現実世界からの侵食であり、ともすればパラレルワールドを消し去る現象だったのである。そして、製鉄所から発生する「神機龍」は、この「罅」を修復する存在だったのである。

 

さて、正宗がずっと好きだったクールな美女・佐上睦実は、ある日、正宗を誘い、退屈な日常を抜け出す、製鉄所第五工場で軟禁中の狼少女、後に五実と呼ばれるその少女の排泄、食事、入浴の世話を交代で行うことを持ちかけるのであった──。

 

***

 

パラレルワールドの中では、まさに事故直前の状態を保存しているため、心も含め、大きな変化は許されず、もし変化してしまえば、それはパラレルワールドを破壊しかねない「罅」として「神機龍」に消されて治癒されてしまう。

 

現に正宗への恋心を皆に知られ、恥じた園部裕子には「罅」が生じ、「神機龍」に消されてしまった。内気だったがパラレルワールドでラジオを聴くうちにDJになりたいと思うようになった仙波康成もまた、「罅」が生じ、「神機龍」に消されてしまった。

 

しかし、そんな世界であっても、パラレルワールド内の人々は、存外それはそれとして受け止め暮らしている。さながら、自分が偽物だと知った後の『テイルズ・オブ・ジ・アビス』の主人公ルークや、自分が空の器に過ぎないと知った後の『灼眼のシャナ』の坂井悠二、自分がクローンだと知った後の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のスレッタ・マーキュリーのように。

 

さて、本作でストーリーが動き始めるのが、五実が外部の、つまり現実の世界からパラレルワールドに迷い込んできた存在だとわかってからである。

 

そう、五実は、じつは現実世界の正宗と睦実が結婚しできた本当の子供だったのだ!

 

ポイントは、「臭い」である。五実の体や尿はくさいのだ。しかし、それは「痛み」同様、パラレルワールドの住人が失ったものでもある。ちょうど、製鉄所の大事故直前に大輔が炬燵の中で屁をこいたのが「臭かった」ことが、現実/パラレルワールドの対比軸になっている。

 

この五実を現実に帰す話が、後半の一つの軸になる。

 

しかし、その軸の周囲を彩るのは、後悔や、あるいは「許されるなら時間をひとところにとどめて欲しい」という人の願いこそが、あるいは、ある人にとっては地獄だが、ある人にとっては天国の、パラレルワールドの役回りだったのかもしれない。3.11の前に、どうか戻して欲しい。京アニ放火事件の前に、どうか戻して欲しい。という。製鉄所の大事故の結果、正宗の父・菊入昭宗も含め沢山の人が死に、見伏町はさびれていく。そのさびれる前の景色を、どうか残したいというのは、見伏の神でない、人々もまた同じ気持ちだったであろう。石田祐康監督『雨を告げる漂流団地』や新海誠監督『すずめの戸締まり』といった、衰退途上国日本における寂しさの主題系である。そして『アリスとテレスのまぼろし工場』のモデルの一つ、日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区工場は、奇しくも本作公開の前日2023914日に操業を停止し、72年にわたる鉄鋼製造の歴史に幕を閉じた。

 

そして、人は存外、閉鎖されたパラレルワールドでも、やる気さえあれば生きていけるのである。コロナ禍下でまさにそうであったように。

 

そしてもう一つ、やはり岡田麿里の作家性と言ってよいだろうが、母娘関係の話もまたひかる。父に恋する娘に対し「女」として張り合う母親と、母親の役目を貫徹するために男からのアプローチを蹴り「女」になろうとしない母親。でもアプローチを諦めない、自分たちの力で「神機龍」を動かした菊入正宗。パラレルワールド内部でも血を流し痛みを感じた睦実。閉じた世界もまた、ちょうど五実を現実世界に返せたように、実は開かれているのである!

 

手放しで誉めるには難解で、受容に少々時間がかかりそうな、不思議な感覚が残る映画であった。