「私には、自殺の才能すらなかったのね。」
これに尽きる。
何が?
人生が、だ。
我々は皆、ただ偶然死んでいないだけ。
ただそれだけであって、彼我の差はほぼない。
「生きるか死ぬかなんてただの運なんだって、私、小さい頃からずっと思ってきました。」(新海誠『すずめの戸締まり』)
この生の持つ根源的偶有性。
それは私でもありえた、という感覚。
そして、死者はもう自らが動いてこの世を変えられはしないという事実。
それを自覚したときに、
この世を少しでも良くしよう、
あるいは、人に僅かながらでも優しくしようと思えるのではないか。
山本芳久『「愛」の思想史』によれば、どうやら人が生きていることの無根拠性、根源的偶有性を説明する逆転のロジックこそが神あるいは神の愛であり、それこそがトマス・アクィナスの愛の理論ということになるようだ。
そして、以上の私の思索は、ロナルド・ドゥオーキンが言う「神なき宗教」に極めて近いもののようである。
『僕のヒーローアカデミア』のヴィラン(敵)のトゥワイスも、極めて善人であるが、しかし、個性ゆえにどうにもならなくなって死に至る選択をする。
そのヒーローとヴィランの紙一重さは、死柄木弔もまた同じである。
緑谷出久は、死柄木弔でありえた。