人文学と法学、それとアニメーション。

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他者という問題──『劇場総集編 SSSS.GRIDMAN』覚書

 

やっぱり気に入らないからと言って簡単に他人を殺しちゃダメだよね、と再確認(当たり前)

 

他者問題。

 

これは、近時の作品では『ブレッド・トレイン』の問題系でもある。コントロール不可能性の先に「偶然」=「他者」が出てくるのであって、それは「運命」に翻弄され「弱い」個人であるが、しかし弱さを受け容れた他の個人と連帯して「必然」をもたらす「強者」をも破る者であって。

 

「弱さ」「ジャンク」「取るに足らない」、こういった性質は裕太、六花、内海らが持っていた性質である。「神」の被造物であるものの、創造されし後には「神」でももはやコントロールできない存在としての「人間」=「ジャンク」は、理神論的世界観である。しかし、ゆえにこそ「個人」が足掻く余地があり、それこそはまさにキリスト教理におけるウシア=ピュシスと異なり各個々人が積み上げることができる「個性」ヒュポスタシス=ペルソナを持つのである。

 

新条アカネの「現実」とは、「他者」がいる空間、すなわち、自分が「神」ではない空間のことである。

 

「他者」がいない空間は、ロビンソン・クルーソー無人島であり、いずれ自分と世界の区別がつかなくなり発狂するだろう。

 

その意味で、アカネは六花らに助けられたのだといえる。