人文学と法学、それとアニメーション。

人文学と法学、それとアニメーション。

諸行無常、しかし、映画は、俳優は永久に残る──『バビロン』評註


いや、マジ好きすぎるんよな

 

女優の客へのゴールデンシャワー(放尿)から始まり、酒、タバコ、女、ドラッグ、セックス、同性愛、賭博、そして暴力。

 

映画関係者たちによる華やかなパーティがあり、全て手に入れ、そして、全てなくなった。

 

しかし映画だけは残った。

 

それは俳優にとり、あるいは一人の人間にとり、千年王国の一部になることに他ならず、救いである。

 

何百年経とうがみんな映画の中で生きているのだから。

 

50年後に生まれ、ジャック(ブラッド・ピット)の作品を見た子供は、会ったこともないジャックを友人のように感じるのだから。

 

このあたりはアンドレ・バザンが映画の機能として見たミイラの主題そのものである。

 

あるいは1920年から30年という、ハリウッドで無声映画が有声映画に取って代わられる中で、スターだったジャック(ブラッド・ピット)やネリー(マーゴット・ロビー)が栄華(映画)を極め、そして哀れに消えていく様はさながら『平家物語』である。

 

なお『バビロン』は217日に観たのだが、215日に『ケイコ 目を澄ませて』という東京下町の片隅の耳の聞こえない女性ボクサーの話を見ており、『バビロン』的喧騒とは真逆の世界だったなぁと。