人文学と法学、それとアニメーション。

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枝分節、分節、枝分節、分節──『映画「五等分の花嫁」』覚書

──選ばれたのは、四葉だった。

 
途中で一花、二乃、三玖、四葉、五月全員の「〜の場合」が入ったときには、『僕は勉強ができない』を代表に近時人気のマルチエンドかと思いヒヤッとした。
 
ちなみにマルチエンドがダメなのは選択から真剣さが失われるからである。
 
さて、以下分析。
 
風太郎は四葉を選んだわけであるが、それは幼少期、京都で出会ったのが四葉だったからというわけではない。
 
つまり、これは決定的な過去の一点の初恋の人が誰だったのかの謎を解く、さながらミステリーにスライドした──もっともその上で「今」の千棘を選んだ──『ニセコイ』とは趣きが異なる。
 
あるいはキスについても同じである。風太郎は誰としたかの確信はない。
 
つまり、それらの決定的な過去の一点を除いてもなお四葉なのである。
 
ただ、それはいわば引き換えに四葉でならなければいけない選択の必然性を薄めることに繋がりうる。
 
しかし、それを埋める形で──埋められたかはともかく──展開されるのが、四葉の過去の物語である。
 
***
 
外見がそっくりの一卵性双生児の五つ子で、しかも父がおらず母の手一つで育てられる中で、四葉は、生きていていいと、特別だと、何者かになりたいと切実に願っていた。
 
そこで、京都で互いにはぐれた風太郎と出会い、風太郎が妹に楽をさせてあげるために将来いっぱい稼げるよう勉強すると言ったのに影響され、四葉もまた母に楽をさせてあげるために将来いっぱい稼げることを目標にするようになる。
 
そして、四葉は他の四人の姉妹に先駆けて、区別を主張し、緑のリボンをつけるようになった。
 
それに対し母は、あまり快くは思っていなかった。ただ、「あなたたちは五人一緒にいてね」と言うだけである。
 
そして母が亡くなり、中野に引き取られたのち入った女子高で、四葉はその身体能力を活かして部活を掛け持ちし、「他の四人ではない特別な私」を感じて過ごしていた。しかしそこで調子に乗っていたため追追試にも落第し、退学が決定する。そのときに、四葉のために他の四人はさも当然のことのようにカンニングをしていたと虚偽申告し、一緒に退学する。
 
そして、風太郎がいる日の出学園に転入することになった。
 
そこからは、四葉は誰よりも五人姉妹のために尽くし、和を乱さないよう気を配るとともに、以前にも増して自分は空っぽだと、だから誰かのために尽くさないとと助っ人稼業を張り切っていた。
そして、四葉は、ここまでの過去の積み上げがあるから、他の四人ではない私が選ばれることを自分自身が受け入れられない。
 
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以上のうち、「必要とされない子」の話は、幼なじみの竹田が四葉に言っていたように、風太郎の話でもあったのである。
 
だからこそ風太郎は四葉を選んだのだと思う。
 
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四葉の気持ちをわかって、しかし風太郎への本気から押すか押さないか、あるいは四葉への気持ちから押すか押さないかが四人それぞれ違った=四人の決定的な個人化が、文化祭での告白後、プロポーズまでの間のパートである。
 
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結局、四葉のたどった経過は、①枝分節(segmentation:緑のリボンをつける前)→②分節(articulation:緑のリボンをつけてから女子高で調子に乗っていたとき)→③枝分節(segmentation:女子高を退学にされたときに他の四人が一緒に退学してくれたとき)→④分節(articulation:風太郎のプロポーズを受け入れたとき)となる。
 
三玖が鋭くも見抜いていたように、四葉は他の四人に対して③時の音があるからsegmentationから抜けられなかったのであるが、再び決意を固め④に至るのである。
 
血縁に基づくsegmentationは、束縛にも自由の基盤にもなりうる、ということである。