人文学と法学、それとアニメーション。

人文学と法学、それとアニメーション。

君があると言ったから──『グッバイ、ドン・グリーズ!』と奇跡の自己言及

 
1.あらすじ
冒頭。
 
短髪のロウマとトトがドングリーズと掘ってある木板を焚き火で燃やしている。
 
「人って、こんなにあっけなく死ぬものなんだって当時はまだ知らなかった」と回想をするロウマのセリフからは、そこにいないドン・グリーズのメンバー、ドロップの死が暗示されている。
 
***
 
そこから過去、あの忘れられない夏休みへ。
 
かなり田舎のある地方、クラスのはぐれ者、ロウマとトトの二人は秘密基地を作りドン・グリーズを結成していた。
 
そんな2人のところに、アイスランド帰りのドロップがやってきた!
 
クラスのボス連中(イモだが)がイキって花火大会に繰り出す中、トトとドロップが女装し、ロウマがオールバックにしてクラスの連中をアッと言わせ、新しく買ったドローンで3人だけの花火を撮影しようとしたのも束の間、ドローンは風に流され行方不明。
 
落ち込んでいたところで山火事。もちろんロウマたちがやったのではないが、クラスラインではロウマが放火犯扱い。無罪を証明してやろう!と、アリバイが写っている可能性があるドローン回収に遠くの山に向かうのであった。
 
道なき道をズイズイ進むドロップは、しかし道が必ずしもわかっていたわけではない。しかし、「明日世界が終わるとしたら、何がしたい?」と問うドロップは、そしてきらきら星のラストをハッピーエンドと解釈するドロップは、自分の生のリミットを意識しており、ロウマもトトもそれに気づき始める。
 
道から外れるドロップとレールの上を走るトトの対比。荒れ放題の旧道71号線をしなやかに走るドロップ。一日かけて近くをぐるりと一周していただけ。全てが見事な比喩である。
 
どうにか繋がった県道71号線の先は、命を賭けたレースだったにもかかわらずダムで行き止まりで、ドローン探索の旅は終わったかにみえた。ロウマとトトに謝るドロップに、大人しかったロウマがキレる。「トトを立ち直らせたのもお前だ」「3人で過ごしたこの夏を、俺は全然後悔していない」「出会ったのが間違いだったみたいに言うな」「だからお前が一番最初に諦めるんじゃない」と。あたりを探した結果、側道が見つかり、そしてドローンを見つけられる。ドローンを持ち振り返ったドロップの最高の笑顔は、トウマのカメラのフレームにパシャりと無事おさまった。
 
***
 
その後新学期がはじまり、トトは東京に帰り、ロウマは相変わらず冴えない高校生活を送る。
 
そこに届いたドロップの死の連絡。
 
秘密基地に向かうと、いつかはわからないが、ドロップが来ていたようだ。メッセージとコーラが2本。悲しさのあまり、ロウマは基地を破壊してしまう。そこにトトも駆けつけ、後ろからロウマを抱き止め、2人は泣く。ここから冒頭へ。ロウマとトトはドン・グリーズ秘密基地の建具を全部燃やし、コーラを飲む。すると、黒マジックで何か書かれているではないか!「合わせる」と書かれた★部分を合わせると、アイスランドの地図と、かつてドロップが言っていた「黄金の滝の赤い電話ボックス」の都市伝説の場所だろう「宝のありか」が記されていた。
 
***
 
2人は計画を立て、アイスランドに渡り、そしてさまざまな滝を探し歩き、ついにその「黄金の滝」を発見する。そして、まさにそのとき、電話のベル音が!あたりを見回すと、本当に赤い電話ボックスがある!都市伝説じゃなかったのか、とロウマとトトは驚きながらも急いで駆け寄り、受話器を上げるが、切れてしまった。
 
しかし、その公衆電話ボックスには、なんとドロップの字で、「僕の15歳最後の冒険を見届けてくれる親友」と書かれたコーラのラベルが貼ってあった。
 
そう、ドロップがロウマとトトの前に現れたのは偶然ではない。トトがイギリスに引っ越したチボリに、ロウマを告白させようとしてロウマのスマホからかけたその番号の、国別割り当てが1つズレ、アイスランドのまさにこの赤い電話ボックスの番号に一致していたのだ。そう、電話の向こうではドロップが、ロウマとトトの、チボリに告白するかどうかという「(ロウマの16歳になる前の)15歳最後の冒険を見届ける」というトトのセリフが、そのまま「(ドロップが生きられる最後の年である)15歳最後の冒険を見届ける」メッセージとしてドロップにつたわり、余命幾ばくもないドロップの生きる希望に繋がっていたのであった。
 
思えば、この作品は、間違ってる(don'tに続くのは動詞じゃなきゃダメ)し間違っている(ロウマとトトは誰よりも楽しそう)、といった、学生時代によくやったような馬鹿話、言葉遊びの連続の作品だった。その意味では『ゆゆ式』『キルミーベイベー』と似た作風である。
 
最後、ロウマとトトはアイスランドに次いでアメリカにわたり、前人未到?の登山をしたようであり、そうして見下ろした狭い(広い?)世界にはチボリが空を見上げていた。
 
世界は不思議な縁で繋がっている。アニメーションが奇跡を描くものであるとするならば、まさに恥ずかしげもなくその日常のささいな、しかし決定的なコミュニケーションの奇跡を、本作は描き切ったのだと言える。
 
赤い電話ボックスが、まさか実在するとは思わなかったが、それをも含めて、ロウマとトトが、ドロップの隠したメッセージに気づき、そしてドロップが言った荒唐無稽な与太話を信じ、そこに出向く、その先にある奇跡は、親友を信じればこそ達成されたのであり、それはまた『宇宙よりも遠い場所』で藤堂隊長が言った「結局、人なんて思い込みでしか行動できない。けど、思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める。」というセリフにも通じる。

山中で出会った熊と、赤い電話ボックスはパラレルである。──存在するわけがないが、しかし、存在するもの、すなわち奇跡として。

 
奇跡は目の前にあるのだ。
 
さぁ一歩を踏み出そう!
 
2.雑感
 
主題は、死のリミットによって際立つ、どう生きるかという問題だろう。
 
その意味では『四月は君の嘘』の主題系である。
 
ドロップが問いかけ続ける「明日世界が終わるとしたら?」「財宝とかじゃない、自分の人生の宝が何か、わかる?」も、リミットが近いドロップで先鋭化しているだけであり、実はトトの進路選択を経由して、我々一人ひとりの人生で何をするか、あるいは何を残すかの問いかけになっている。
 
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随所に散りばめられた赤と青の対比もまた見事である。チボリがトウマから借りたニコンで撮った写真のてんとう虫流れ星と花の青。黄金の瀧の赤い電話ボックス。
 
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バザン主義的な、写真と死あるいは生の話もきちんと主題(死のあとの生)にしっかりと織り込まれている。

※2022年2月22日「山中で出会った熊」の段落を挿入。