人文学と法学、それとアニメーション。

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ベルファスト哀歌──『ベルファスト』覚書

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1969年8月15日、北アイルランドベルファスト。舞台はその時、その場所に措定される。

 

それまでのベルファストは、複雑な歴史的経緯からプロテスタントカトリックが入り混じりながらもこれといった争いなく穏やかに暮らす、住民皆が顔見知りの穏やかな街であった。

 

しかし、1969年8月15日にプロテスタント系住民の過激派がカトリック系住民の住居や商店を襲撃し、以降街が分断され、失業率の高まりも相まってベルファストの街はすさんでいく。

 

そのような中で、プロテスタントの家で育つ聡明な少年・バディが、故郷を愛し正しさを追求し出稼ぎで不在がちの父に代わって子供2人を立派に育てた母と、肝心な時にはいる優しい父、深い懐を持つ祖父、厳しいが物事をよく理解している祖母、おじさんや万引きに連れ出すいとこ、そして初恋のあの子──カトリックだが──らに囲まれてベルファストで過ごした、そしてそこからロンドンに移住するまでの期間の物語。

 

マクロ条件は全く改善せず、過激派のプロテスタントの領袖が父の友人しかも小学校以来の幼馴染であり、またバディの兄が火炎瓶の材料たるガソリンが入った牛乳瓶をそれとは知らず過激派に依頼され運搬役にされるなど、「善き隣人」「昔からの顔馴染み」が地続きに過激派となり、かといって親の、あるいは祖父母の代からの地元=地縁共同体構成員の顔馴染みだから関係をスパッと切るわけにもいかない、という事態の難しさ。

 

北アイルランド紛争における過激派・IRAは私の中では国際テロリストのイメージで、それは大体『愛国者のゲーム』由来なのであるが、『ベルファスト』ではナチスの突撃隊のように地に足のついた感じの過激派が登場しており、徒党組織の形成過程についてなるほどという感じであった。

 

最近、『思想』2022年1月号のチャールズ・テイラー特集を読み切っていたため、カナダはケベックにおける多元主義の実践の難しさが何度もよぎる展開であった。

 

また、住宅地が攻撃されものが焼けたり建物が破壊される様はどうしても今のロシア・プーチン政権によるウクライナ侵略が連想される。

 

祖父が死に、息子夫婦がロンドンに移住し、一人ベルファストに残った祖母の顔の皺がそのままベルファストの歴史であるかのような迫力があった。

 

ラストの「ベルファストを去った人、残った人、そして犠牲者に捧げる」旨のメッセージは、まさにそうだろうなと。