家福悠介と渡利みさきという、法的には何ら責任はないものの、しかし自身の内心のかすかなわだかまりが契機となり、肉親の死に責任を感じるようになってしまった二人が出会い、話しを重ねていくことで、各々の過去と向き合い、そして立ち直るというのがメインストーリーだろう。
前半の東京パートとうって変わって、後半の広島パートは瀬戸内の海や島、橋、広島平和記念公園など開けていて気持ちが良い。
原爆ドームと平和記念公園をつなぐ平和の軸線を遮らないように作られた広島市の焼却場を貫くエコリアムは再生の象徴でもある。
我々は『ワーニャおじさん』のラストよろしく、死ぬまでは生きていくしかないのである。それがどれだけ辛く苦しいとしても。
ラストの韓国にいるみさきの車は、家福が譲渡したものだろう。家福にとっては車を手放すことが、みさきにとっては車をもらうことがそれぞれ未来への次の一歩になる。
あと、2人でサンルーフからタバコを出している様がさながら線香に見える演出も良かった。
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ただ、正直家福という大物劇作家であって、人間がさまざまなペルソナを持っていることくらい、つまり音の不倫くらい十二分に理解できるであろう造形であるのに、そこに大変なショックがあり、それが物語全体の鍵だったというのが、正直かなり違和感があった。物語の根幹のカタルシスに繋がる話だけに。