人文学と法学、それとアニメーション。

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仮面を被るということは。──『泣きたい私は猫をかぶる』覚書

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笹木美代は「無限大謎人間」通称「ムゲ」と呼ばれ、豪放磊落に笑い、好意を寄せる日之出賢人には毎日ハイテンションでウザ絡みしている。

 

そんな美代の前に、ある夏祭りの夜、仮面屋と呼ばれる人語を介す猫が現れ、「猫になれる仮面」をもらう。これにより、美代は放課後、猫になって正体をかくして賢人のところに入り浸るようになる。

 

美代の問題は、結局家庭環境(母が幼少期に出て行き父と暮らしていたところに薫さんという後妻?候補が現れる)と、恋愛(賢人)が上手くいかないことに由来する。

 

これの解決が鍵であったところ、仮面屋の謀略により人間の仮面を奪われ、行方不明になり、一生猫として生きていかざるを得なくなったときに、危険を顧みず猫の世界に助けに来てくれた賢人や、探し回ってくれた両親と薫さん、友人の頼子らから自分が必要とされているという実感を感じることができ、美代は猫の仮面を外して人間に戻るとともに、皆の前で空元気で明るく振る舞う=猫をかぶる=コミュニケーションの拒否をしないことを決意するのであった。

 

これがわかったのは、一旦猫=自然体になったからである。つまり、またぞろ夏目漱石の、あるいはエピキュリアニズムの射程であり、bona fides樹立が焦点なのであった。