人文学と法学、それとアニメーション。

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「みんなちがってみんないい」世界における「特別」な関係――『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第11話「みんなの夢、私の夢」覚書

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第11話。

 

歩夢の侑に対する感情が、ついに爆発した回。

 

パスカードケースや標識やスマホについての演出的意味についてはもうすでに多くの考察が出ており、ここで論じる必要はない。

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ここで指摘しておきたいのは、第11話の作話上の課題は何であったか?ということ。

 

それは、

 

「みんなちがってみんないい」の世界で、しかし絶対に消滅しない「特別」をどう獲得する、あるいは描くのか?

 

というもの。

 

歩夢の、侑には「みんな好き」じゃなくて、「私だけを好きでいて」という気持ちは十分理解可能である(第11話タイトルの「みんなの夢、私の夢」に言う「みんな」「私」はこういうことである)。

 

ちょうどまさに今季の『安達としまむら』の安達の感情(一番の友達(?)でいたい)と変わらないかもしれない。

 

「お願いだから鳥籠の中の鳥のままでいて」という歩夢の独占欲は、ラブライブ!シリーズのポジティブなシナリオ展開から考えると、まあ絶対叶わない。

 

であれば、より創造的、未来に開かれた関係の(再)構築になるはずである。

 

概ね、侑のやりたいことと歩夢の想いが齟齬しない形なのだろうとは予想できるが、果たしてそれがどう描かれるか、第12話が、そのタイトル「花ひらく想い」が示唆するところと共に、非常に気になる。

 

しかし、第11話ラストの、侑と歩夢のやりとりの際の「せつ菜ちゃんの方が大事なの」「違うよ」での二人の顔及び最後歩夢にソファーベッドに押し倒された侑の顔が、月光と部屋の闇でそれぞれ半分ずつ光が差し、半分暗闇なのは、何の暗示なのだろうか・・・。

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