人文学と法学、それとアニメーション。

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フィクションの反転――『100万の命の上に俺は立っている』第11話覚書

第11話はなぜか『ふたりはマジハナイト』というアニメのアバンとOPから話が始まる。

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『100万の命の上に俺は立っている』が打ち切られたのかと思った。笑

 

タネ明かしは時舘由香が幼少期から憧れていたアニメで、時舘がゲーム世界の雪中で見た夢である。

 

現実世界の学校では強いグループにつき愛想笑いをし、関係が悪くなると裏切って・・・と生き馬の目を抜くような生き方をしてきた時舘が、ほかの3人の勇者が死に、もうゲームオーバーでもいいかな、だって私が最後の一人だから先に死んだ3人に責められることもないし・・・と思い諦めようとしたそのときに、この『ふたりはマジハナイト』の物語を想起することで、時舘は諦めず、ミッションをクリアすることに繋がった。

 

***

 

ゲームクリアしゲームマスターのいる空間に飛ばされる4人。

 

質問権は時舘に。

 

そこで、4人はある「真実」を聞かされる。

 

それは、この転送世界はゲーム、ヴァーチャルリアリティではなく、並行世界の現実である、ということ。

 

つまり、転送世界の人間はヴァーチャルな存在ではなく、人間なのである。

 

これはゲームの世界だと思い、この世界の人間を殺戮してきた4人を暗転させる。

 

だって嬉々として人間を大量に殺戮してきたことになるのだから。

 

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***

 

冒頭に作中フィクション『ふたりはマジハナイト』からアバンとOPを開始し、『100万の命の上に俺は立っている』の作中現実と『ふたりはマジハナイト』を混同させることで現実世界の視聴者(我々)を混乱させる一方で、結末に作中ゲーム世界(転送世界、フィクション)が実は作中現実であったという作中ゲーム世界(転送世界、フィクション)の「現実化」により、現実とフィクションの境界を曖昧に融解させていくこの手法は、非常に面白いものである。

 

特にラストの作中ゲーム世界の「現実化」は、もとより現実であったものをフィクションであると認識していたために、認識の変化により「現実化」するというものであり、さながらソフォクレスオイディプス王』を想起させる。

 

フィクション内現実と、フィクション内フィクションは、容易に反転させることが可能であるということ。そして、フィクション内フィクションだと思っていた世界が実はフィクション内現実であることで生じる悲劇。

 

冒頭の『ふたりはマジハナイト』が別番組のフィクションではなく『100万の命の上に俺は立っている』のフィクション内フィクション(を幼少期に見ていた時舘が雪原で見た『ふたりはマジハナイト』の夢)になったこと、そして最後のフィクション内フィクションだと思って人を殺してきたのにそれがフィクション内現実であるとゲームマスターにより告げられることで世界が反転したことに、製作者サイドの自覚が窺えるのである。

 

※2020年12月14日ラスト二文を追記した。