人文学と法学、それとアニメーション。

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かからない「虹」の謎――『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第13話「みんなの夢を叶える場所」覚書

1.問いと答え

 本稿では疑問を1点に絞る。――雨が降り、雨が上がったのに、描かれない「虹」である。

 

 私は、第13話で雨が降り出した段階で、「どうせすぐ晴れて、虹がかかってラストステージやろ。わら」という予想をしていたが、この予想は見事に外れた。

 その時は「予想を外してしまった・・・恥ずかしい」と思っていたのだが、本日のテレビ放送(初見はYoutube同時放送であった)で2回目を見て、

 

「いや、この予想は存外、外れていなかったのではないか」

 

と思い直した。

 

 つまり、これは、本来なら(!?)雨が降り、上がったあとに虹がかかっていたはずなのである。

 

 そうであれば、問題はこう立てられる。

 

 Q.なぜ、13話において製作者は、わざわざ雨が降り、そして上がるというエピソードを挿入したのに、「虹」をかけなかったのか、と。

 

 そして、よく考えるまでもなく、この問いを立てられたならば答えはわかる。

 

 それは、既にそこ(画面、あるいは作中現実)に「虹」があるから、わざわざ「虹」をかける必要がなかったのである。

 

 つまり、9人の存在が、あるいは9人で歌うエンドロール(NEO SKY, NEO MAP!)こそが「虹」なのである。

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2.そのインプリケーション――反スピリチュアル、しかし「夢」は諦めない!

 雨が上がった後の対処は現実的で地味であるが、しかし等身大で、一歩一歩歩んでいくという我々の「現実」にすこぶる近い(メインヒロインの歩夢は、その名前のとおり、一歩一歩夢に向かって歩く、そういう名前である!)。

 それでも、夢はあるのである。

 これは本歌=本家ラブライブ!やサンシャインとは異なり、ひとつの特別=ラブライブ!を目指さない、彼女らと本家との在り方の違いゆえなのかもしれない。

 

 2019年10月22日に挙行された、天皇即位式である即位礼正殿の儀の際には、途中まで曇っていた空が晴れ始め、さらには虹までがかかり、NHKの実況ですら興奮するというオカルト、スピリチュアルじみた状況が生まれていたわけであるが、まさにこの事実との対比が可能であろう。

 やはり『虹ヶ咲』は本家ラブライブ!、サンシャインとは異なり、「夢」よりは「現実」に寄っている、しかし「夢」なのである。

 そして、それはCOVID-19が猛威を振るい、またアメリカ大統領選を始めフェイクニュース陰謀論が飛び交った2020年だからこそ、「地に足をつけて」、しかし「夢」はあきらめるのではなく「一歩一歩」着実に進め、というメッセージを持つのではないだろうか。

 

 歩夢が言った「あなたのための歌」の「あなた」は英語で「YOU」であり、そして9人を応援しその夢に火をつけた9人からの歌の名宛人、高咲「侑」その人である。

 

 こういう連想ゲームができる製作陣なのだから、私の「虹」を巡る推論もまた的外れではないと信じるものである。

 

 想像力、連想力は大切である。社会から、集団から追い詰められた「最後の一人」を救うために政治もデモクラシーも法も創出・発展されてきたのであるが、それは「想像力」による「共感」なしには機能しない(木庭顕)。想像力、連想力は陰謀論供給源でもあるが、自由の源でもある。物事は遍く両面があり、そしてそれは使い方次第でよくも悪くも出るのである。