人文学と法学、それとアニメーション。

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どこからでもはじめられる――『リトルウィッチアカデミア』評註

 

  「信じる心があなたの魔法」(シャリオ)

 

 この言葉は、権力と権威を手に入れようとしたクロワに、シャイニーロッドが微笑まず、シャリオとアッコを持ち主に選んだその理由でもある。政治的決定をなす言葉では実益は手に入れられないし、実益を求めてはならない。振り込め詐欺すら言葉なしには成り立たない。

 

「なんでも話し合いで決めることにしました。そしてまた、人は表現に目覚め、たがいに朝から晩まで表現し合っています。政治が生まれましたか?」「そんなのはまっぴらです!」(木庭顕『笑うケースメソッドⅡ 現代日本公法の基礎を問う』78頁)

 

「耕すこと、生産すること、が禁じられる。つまり表現するしかない空間だ。地表面も不毛な石畳で覆う。」(同81頁)

 

 シャリオのドリームヒューエルスピリットによりアッコが魔力を失ったその真相部分での、シャリオの故意ではなかったという話はついに誰からもアッコに語られることはない。手の込んだ筋立てであるのに、あえてそれは使わない。ということは逆にここがポイントである、とあうことである。

 

 アッコが衝撃を受けた理由は諸々考えられるが、一番はあのシャリオの魔法ショーでもらった「信じる心」(夢)が砕けてしまったことだろう。もう一度、あのワクワクする心を手に入れるために必要なのは(シャリオの「故意ではなかった」という釈明も一つのルートではあるが、それ以上に)、今、この瞬間に、あの時シャリオの魔法ショーに感じたワクワクは嘘ではなかったと再度あの気持ちを呼び起こしてくれる働きかけである。それができるのは、同じようにショーで魔力を失い、しかしショーからもらったワクワクを糧に魔力を取り戻すことを諦めず現に成し遂げたダイアナ以外にはいない(シャリオ本人にもできない)。

 

 かくして、「信じる心があなたの魔法」なのであり、それこそが“世界改変”魔法「グランドリスケル」そのものなのである。

 

 ラストで憎悪と実力の象徴たる軍事ミサイルを見事に無力化するというハッピーエンドも主題に適合的である。

 

(余談だがかつて栄えたルーナ・ノヴァが困窮しやせ我慢状態でなんとか運営されていたり(“アカデミア”の没落)、キャヴェンディッシュ家の医療ボランティアによる没落と横領する叔母(笑)とか、とにかく目配りに事欠かない。笑)

 

 

【参考までに】 

 「冒頭で都議会議員選挙と『カエルの楽園』は深くつながっていると書きました。

体も小さく備えもしてこなかったツチガエルたちは、自分自身も、いわんや自分たちの国であるナパージュも自力で守ることができません。侵略してくる体の大きなウシガエルの前で、彼らは絶対的平和主義と絶対的非暴力を最高の価値とする「カエルの三戒」を守り通そうとします。でも、国を守り、人々の命を守る術も力もないのは、とても不安です。ツチガエルたちの中から、自分たちが食べ尽され、祖国が消滅するかもしれないというこれ以上ない危機に直面して、絶対的平和主義の原則である「三戒」を見直そうという意見が、遂に出てくるのは、自然なことです。

でも、そのとき、強力な反対意見が声高に叫ばれます。絶対平和主義ガエルたちです。彼らは強固かつ頑固に、建前論の美しい言葉を並べたてます。「信じる心」、「平和の尊び」、「争いのない世界」――なんと正しく美しい言葉でしょうか。民集はこういう美に酔うのが大好きです。大半の人たちが美しい漠然とした言葉に酔い痴れているとき、彼らを酔わせているピカピカの建前論に立ち向かうのは、存外難しいものです。」(櫻井よしこ「解説」百田尚樹『カエルの楽園』(新潮社、2017年)272頁)。

 

 櫻井、それに百田は「信じる心」は現実を見ないお花畑(フラワーズ)であり、「リアリズム」から見ておよそ受け入れられない代物である、と言いたいようである。しかし、果たして「リアリズム」の名のもとにいたずらな力の誇示を目指し、火中の栗を拾っているから嫌われているのだとヒールを気取り冷笑することに「酔」っているのはどちらであろうか。ホッブズ〔本田裕志訳〕『市民論』(京都大学出版会、2008年)あたりを読んで考えたいところである。