人文学と法学、それとアニメーション。

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とっちらかってる──『かがみの孤城』覚書

 

高山みなみ(マサムネ)は草。コナンっぽい喋り方よな、からの自供。笑

 

あと、傘木希美かと思ったよね。笑

 

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こころが学校に行けなくなった集団での自宅包囲の話やそれを母に言えなかったこと、アキとフウカには言えて泣いたこと、そのあと母にも話せたこと、担任の全く噛み合わなさ、真田の手紙の噛み合わなさ、萌の微妙な対応と「たかが学校」、そして母と北川先生の「嫌なら中学行かなくてもいいからね」。本当によくできていたと思う。

 

また、ウレシノが孤城世界でも女子との距離感を掴みかねさらにハブられ、キレてみんなを侮辱し、戻ってくるエピソードの中で、自分が真田に池田をけしかけられてやられた記憶がフラッシュバックしたにもかかわらず、こころもウレシノに声をかけられず消極的にではあるがウレシノ外しに加担してしまったこと、そして今度は萌が真田たちのいじめのターゲットになっていたことなど、いじめの無定形性を上手く描けていたと思う。これで『三月のライオン』みたいに、いじめグループ一斉個別取り調べと残りの生徒への事情聴取から壊滅をやれてればと思うが、望みすぎか。

 

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全体的に概ね良かったが、7人も出すとやや話が散漫になりすぎである。

 

特にリオンのお姉ちゃんのくだりを一番最後にもってきてしまうと「学校に行けない」の意味が、(病気や留学ではない不登校)「行きたくても行けない」という話になってしまい、「別に行きたくなければ行かなくてもいい」というメッセージが減殺されてしまうように感じた。

 

またラストは、北川(に姓が変わった)晶子(アキ)に、記憶があるのかないのか微妙だし(ありそう)、まぁリオンにもあるんだろう一方で、こころにはなさげなあたりが微妙だなと。整合的なロジックがあるのだろうか。

 

全体的に叙述トリック(時間のズレ)のギミックが前に出過ぎという感じ。結局その構図で描きたかったものは、おそらくは、孤城でアキを助けたこころを、今度はアキが(北川先生として)助ける、ということなのだろうが、échangeはいらない(まぁもっとも北川先生は政宗、風花、遥をも助けてるし、加えてこころに記憶がないから、露骨なéchangeではないのだろうが)

 

あと、アキ他が狼に食べられた云々のくだりも微妙というか、もっとこう残虐にやらないとさ  あれはアキの自殺の暗喩なわけだから。

 

全体としては、オオカミさま(リオンの姉)が自身の願いとリオンの願いから、「一緒に学校で過ごす」空間として超越的パワーで孤城空間を作り出し、そこを拠点に各時代の雪代第五中の学校に行けてない生徒を集め、一緒に過ごさせ、復活するまでの時間を作った、という感じか。

 

鏡とは自分を見つめ、反省する道具である。