人文学と法学、それとアニメーション。

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時が再び動き出すことを──『フラ・フラダンス』覚書

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『フラ・フラダンス』、あまりに良すぎました

 

基本軸は個性的で「今までで一番残念な」新人5人のフラダンサーが、ぶつかり合いながらも日々成長していく物語。そして合間合間に入る福島の固有名詞、具体的場所と、東日本大震災の傷跡の示唆。

 

(つまり震災)から10年も経つのに月命日に元恋人の墓参りに行く鈴懸。夏凪真理からかつてたくさん聞かされた小さな妹・日羽がもはや大きな社会人となりスパリゾートハワイアンズに入社したことにより、鈴懸の止まっていた時が動き出す。そのことを示唆する墓地でのペットボトル風車と崩れる線香の灰。本当に描き方が丁寧だし、本編のコメディタッチとは区別された(いや、なればこそ)厳粛な空気感を保てていたと思う。

 

あの「ここのみんなは、あの日々を乗り越えて来たんだ。だから、大丈夫。乗り越えられるさ。」という台詞は、その後の墓参のところの台詞を踏まえると、結局一番重要な部分は(少なくとも日羽が来るまで)鈴懸は乗り越えられてなかったのでは、と推測され、ちょっと言葉にならなかったですね。もはや生き返ることはない恋人の月命日に墓参し、花を供えるという行為──つまりもはや見返りが原理的にありえない行為──の丁寧な描写に、人が人を大切にするとはどういうことなのか、ということの作者(脚本家吉田玲子?)の理解を垣間見ることができる。ここも自然と涙が出てきてしまった。ああ、鈴懸さんは本当に真理を愛していたのだなぁ、と。そしてそれゆえに、日羽は自身の失恋を確信するのである。

 

そして、それは鈴懸だけではない。日羽の入社は、もう一人、かつて真理から日羽のことをよく聞かされ、「プアラ」の名前を継ぎ、そして真理亡き後に日羽と同じステージに立つことを夢見ていた塩屋崎あやめの止まっていた時もまた動かした。

 

そして日羽が鈴懸や塩屋崎の止まった時間を解除する鍵になっていたのは、真理が日羽を大切にし、周囲にたびたび話していたからでもある。

 

そう、真理はしっかりと皆の心の中で、そして日羽の存在を通して、しっかりと生きているのだ。

 

そして、それを確信できたからこそ、ココナさんを通して顕現した姉・真理の亡霊(あるいは日羽の妄想)とも、きちんとお別れできるのである。

 

みんな東日本大震災で色々抱えて、でも日々の生活はやらないといけなくて…。そういう2011年から2021年まで10年を経た、福島の日常。

 

冒頭から存在が予期されるのに全く日常シーケンスに登場しない姉と、背景描写や日常会話から示唆される震災。日羽が、「久々にあんな笑顔見た」という父母。別にミステリーではないのだから、あえて引っ張る必要はなかったように思う(あえて引っ張ってはいない、すなわち登場人物たちにとってはあえて言及する必要がない当たり前のことというだけなのかもしれないが)

 

全国大会でのパフォーマンスはまたもや自然と涙が出てくる感じで泣いてしまいましたね。自分たち5人の色を自主的に出せるようになった5人の成長が何よりも実感できるのである。

 

ただ一点、早坂先生の何か言ってるようで何も言ってない小言は完全に不要だったと思う。もし小言をつけるならば、もっと台詞を練るべきであったように思う

 

***

 

ラストワンカットは、面接シーンであえてみせなかった日羽の笑顔一択しかありえない。こういう必然性を積み上げる映画は大変好みである。