人文学と法学、それとアニメーション。

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西村経済再生担当大臣の金融機関への取引停止要請問題と憲法66条3項

西村康稔経済再生担当相が「「(酒提供停止に)応じない店について、情報を金融機関と共有し順守の働き掛けを行っていただく」と、2021年7月8日の記者会見で発言したことが騒動となり、翌9日には撤回、14日には野党一致の辞任要求が出るに至っている( https://www.jiji.com/sp/article?k=2021071401159&g=pol )。

 

これに対し菅首相は9日の午前、「承知していない」などと述べた。( https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4311749.html )。

 

しかし、13日、「西村氏はまた、東京都への緊急事態宣言発令を決めるに当たり、菅義偉首相と関係閣僚も金融機関への働き掛けについて聞いていたと説明した。「首相官邸で関係閣僚の打ち合わせを行っている。事務方から感染状況などの説明を受ける中で金融機関や卸売業者への働き掛けにも触れられた」と述べた。」( https://www.jiji.com/sp/article?k=2021071300577&g=pol )

 

これを受けて菅首相は「業者などへの要請については「具体的な内容を議論したことはない」と述べ、事前に詳細を把握していなかったことを強調した。」( https://www.jiji.com/sp/article?k=2021071400315&g=pol )

 

これは、菅首相が9日に発言した「承知していない」発言については、嘘をついていた、ないしは誤導的な受け答えをした、ということになろう。これだけでも菅首相官房長官時代からの不誠実な振る舞いにも鑑みれば、首相として信頼に値しないといえる。

 

しかし、仮に菅首相が言うとおり「具体的な内容」を知らなかったとしても、まさに知らなかったこと自体が内閣総辞職に値する大問題なのである。

 

憲法66条3項は、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」と規定している。

 

同項の趣旨は、ものの本によれば、次の通りである。

 

「内閣は、国会に対し「連帯して」責任を負う。その趣旨は、内閣及び各内閣構成員の行為について、全内閣構成員が一体として責任を負うということである。一大臣の責任追及手段として内閣不信任を議決して構わないわけである。連帯責任要請は、内閣が国会に対し意思統一の取れた集団として現れることを求める。内閣は、その権限全般を整合性ある方針をもって行使しなければならない。このことは、国会からの責任追及を容易にもする。国会で「閣内不一致」がしばしば追及されるのは、この連帯責任の要請に矛盾するではないかという批判である。」(『新基本法コンメンタール憲法』373頁〔毛利透〕)

 

コロナ対策の最重要課題、しかも極めて強力な措置である金融機関への取引停止要請について、首相と経済再生担当大臣の間に認識にズレがある。

 

さらには、ズレは麻生財務大臣と西村経済再生担当大臣の間にもあったようである。「麻生氏は会見で「(秘書官には)言っている意味がよく分からなかったので、そんなの放っておけと言っておいた」などと説明した。」( https://www.google.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20210713/k00/00m/040/113000c.amp )

 

執政機関たる内閣構成員の大臣が重要施策につき相互にまともな意思疎通ができていないのなら、憲法66条3項の趣旨に反するし、そもそも執政機関の体を為していないといえる。

 

これゆえに直ちに内閣不信任案が提出可決されるべき問題であるといえるのである。

 

野党は単に西村大臣の辞任を求めるだけのようである( https://www.jiji.com/jc/article?k=2021071400382&g=pol )が、おそらくはそれを橋頭保に、菅内閣の退陣を求めるのであろう。