人文学と法学、それとアニメーション。

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人間は弱いから──『五等分の花嫁』中野一花についての覚書

『五等分の花嫁』2期ラスト、一花が三玖に化けて風太郎に「一花は風太郎のこと好きだよ。私、応援してる。」と言うのも、京都のあの娘が私だと言うのも、全部一発退場レッドカードである。人として超えてはならない一線である。まさに「やったのね」(ニ乃)である。

でも、それでもそれをしてしまう気持ちは痛いほどわかる。人間は弱いから。

 特に、これまで長女として「お姉さん」としてゆとりをもって振る舞っていた一花が、他の姉妹について話す風太郎を見てゆとりがなくなり、一線を超えてしまうという展開には、必然性がある。


これは、『響け!ユーフォニアム』の1期でのソロ再オーディションで、実力では勝ち目がないとみて後輩の高坂麗奈に先輩の中世古香織にわざと負けて譲ってくださいと頭を下げる吉川優子にもあてはまる。

 

自身が問題提起した不正の疑義をまさに自身が行うものであり、優子自身の信条からしても絶対に取りたくない手段であって、悪いことの自覚があるのに、でも、それでも香織が最後だから、どれだけ悪いことでもそれが自分にできることならばせざるを得ない。

 

アニメ放送当時は──まだ名もなき「デカリボン」でしかなかった吉川優子が──非難轟々を浴びたそうである。当たり前である。人としてやってはいけない一線を超えている。だから決して称揚はしないし、できない。

 

しかし、それでも、いや、そうだからこそ、吉川優子のあり方はとても人間らしいと思うし、同じように中野一花のあり方も、とても健気で愛おしく思う。