人文学と法学、それとアニメーション。

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信用の来し方━━『映画大好きポンポさん』評註

今日は久々に映画が見れたということで、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』に加えて、『映画大好きポンポさん』も観てきました。

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『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』も『映画大好きポンポさん』も、劇中で描かれるフィクションが舞台と実写映画で異なるとはいえ、共にメタフィクションである一方、『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』が特別から降りる/降ろす物語だとすれば、『映画大好きポンポさん』は特別になる/させる物語で綺麗に対比的に把握することができる。これが同日(2021年6月4日)公開なのはかなりアツい。

 

また、順番(『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』→『映画大好きポンポさん』)も適切だったように思う(?)。(降りる物語から上る物語へ)。

 

 映画の魅力、映画製作の魅力、あるいは映画の技巧や名映画とは何かとか、ジーンの目がカメラになりナタリーが水たまりにぴちゃりと入ったその瞬間を捉えられる比喩だとか、作品を作るとは切断だとか、いつか誰かの助けになれる寄り添えるそういう映画を作りたいとか、愚直に積み上げたら夢が叶うとか・・・といったラインの「ものづくり」(要するにハンナ・アーレントのいう「労働」ではない「仕事」の成果物のこと)にまつわるわくわくする、そして時に狂気が見える話が筋にある。

 

 

※補注:劇中映画『MEISTER』のなかでの少女と指揮者の泥だんご合戦のシーンについて、アニメ映画版『ぼくらの7日間戦争』でも泥だんご合戦が出てきたが、人格獲得と対等化のためにはやはり泥だんご合戦がいいのかもしれない・・・。

 

しかし、この映画の素晴らしさはそこだけではない。

 

何故か出てくるジーンの高校同期で、しかし正反対でおよそ合わないであろう、器用な、しかし今はさえない銀行員のアランが後半でカギを握る。

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ジーンが納得できなさから追加撮影を要求し、結局スポンサーへの上映期限を過ぎ出資契約を解除され、ペーターゼンフィルム及び同社代表取締役のポンポさん以下は資金繰りが行き詰まり窮地に立たされる。

 

そこで、アランは、かつてノートびっしりに映画の感想を書きともすれば気持ち悪く思っていたジーンこそが今や監督として自分の夢を遂げようとしている、その一方で俺の仕事はクソみたいな仕事だが・・・しかしもしかしたらそんな俺でもジーンを助けられるかもしれないと、上司が断る寸前だったペーターゼンフィルムへの融資について役員を説得する役を買って出る。

 

もちろん映画は水物、銀行が手を出すには危険な長期投資ではある。さらにいくら往古の名優を使っているとはいえ前評判も芳しくない。

 

現に役員会でのプレゼンでは否定的な意見で占められ4人の役員はすぐお開きにしようとする。

 

しかし、アランは食い下がり、ジーンやナタリーやポンポさんへのインタヴュー映像で映画への熱意を語らせる。

 

それでも役員4人は首をタテに振らない。「熱意でなく数字を」と。

 

そこで、最終手段、クビ覚悟でアランは会議室での今までのプレゼンの様子を全てユーチューブにライブで上げ、同時にクラウドファンディングを募っていたことを示し、かなりの額が集まっていること、SNS上で称賛の声が上がっていることを示し、「数字で」役員を説得しようとする。

 

しかし、役員はこれに激怒。撮影を止めろ、君はクビだと告げる。

 

しかし、そこで外で映像を見ていた頭取が登場し、デウスエクスマキナよろしく、もう役員の説得を諦め下を向くアランに対し「どうしてそんな顔をしている?素晴らしいプレゼンだった」と声を掛け、役員4人に対しては「君たちは頭が固い。見たまえ、SNSのインプレッションが一番挙がっているタイミングがどこかわかるか?それはジーン監督とアランが心情を吐露したシーンだよ。つまり、みんなこの映画に期待しているんだよ。」と言い、さらに「我がニャリウッド銀行は夢見る人の味方というのが信条だ」「そんな信条聞いたことがないですが」「いまから信条にするんだよ」と。そして、「アレン君、私は君の将来にも期待している」と。涙

 

頭取はオポチュニストかもしれないが、とにかくクラウドファンディングの5倍、ニャリウッド銀行はペーターゼンフィルムに融資することになった。

 


信用、それも銀行の信用が、しかも友人(友情)を通じて正面にスライドしてくるというのは、近代市民社会の成立の条件を敏感に感じ取っているといえ、非常にセンスがいいと言わざるをえない。

 


さながら夏目漱石『それから』を彷彿とさせる観察眼の鋭さである。

 


しかも、その信用獲得の手段は言語による説得と将来性である。

 


「ニャリウッド銀行は夢を追う人を応援します」

 


そう、銀行とは本来こうあるべき存在であり、決して連帯保証と抵当権で担保を取得し、担保上限まで貸付け利息で利益を挙げる、そういう職業ではないのである。

 


そのような銀行のやり口はやはりアーレントの「労働」であり「仕事」ではない。アレンが銀行を辞めようとしたように、「労働」に「やりがい」は存在しないのである。

 

翻って、『映画大好きポンポさん』は(銀行)「信用」というものの本来のありかたを非常に繊細にくみ取り、それを表現している点でも秀逸な作品なのである。

 

(ニャリウッドがどこの国かはさておき、日本では、映画フィルムへの投資が、しかも組合(societas)を経由して、よりにもよって租税回避に使われるという三重の意味で最悪の有様である。最3判平成 18 年 1 月 24 日民集 60 巻 1 号 252 頁。)

 

※2021年6月5日18時若干の補正を加えた。