人文学と法学、それとアニメーション。

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悪い商業主義の詰め合わせ━━『漁港の肉子ちゃん』評註

基本的に観る気はなかったのだが、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』『映画大好きポンポさん』『シドニアの騎士 あいつむぐほし』と並べて本作が紹介されているのを見たので、昨夜のレイトショーで観ることにした。

 

が、直観は当たるもので(まあ当たった直感が直観になるわけで定義の問題かもしれませんが・・・)今年ワーストの評価を付けざるをえない。

 

キャラクターと田舎の風景や学校での子供たちの間での人間関係は魅力的であるが、それ以外はわりと最悪である。(そういう意味で、キャラクターや各エピソードの多くは魅力的だったがシナリオがちぐはぐだったという意味で失敗したアニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』と似た部分はある。)

 

必要もないキャラクター(非人間、無生物、テレビの占い師など)を登場させたり、その声あてでお笑い芸人を声優起用したり、およそ迫真性がないシナリオである上に、本編ラストが生理を迎えたことで成長の比喩というもうほとんどセンスのかけらもないシナリオだし、「笑うところ」的に用意されたところがことごとく笑えず、笑いについてすらセンスのなさあるい時代遅れさを感じた。またさらに劇伴があまりに過剰である。

 

1.お笑い芸人の声優起用のまずさ

必然性があるか、なくとも上手いあるいは少なくともそれなりにこなしていればよい(最近の例では『プロメア』のケンドーコバヤシetc.)。しかし、本作では、必然性もない上に過剰に登場ししかも没入感を切断する最悪の登場のさせ方をしている。またこれは芸人だけでなく芸能人起用にも言えることだが、片手間でやれるほど声優というのは甘くないプロの職業でもある。擁護の余地はないだろう。

 

2.シナリオのまずさ

キクコの本当のお母さんが今更生きててしかも再婚して子供ができたタイミングで肉子ちゃんに連絡を取ってきたことの意味不明さとそれを受け容れ剰えかばう肉子ちゃんには、他人の子を育てることの大変さや今更という話を乗り越えるだけの説得力が必要だったはずで、それを肉子ちゃんの人柄だけでは全くカバーできていないetc.

 

 生理の話についても、そしてそれを成長の比喩で使いたいのだろうこともわかるが、本当の母親の話がぐだぐだなので繋がりが非常に悪い。また病室に来てくれたジジイ(サッサン)の顔はいいし台詞もいいとは思うが、やはりキクコが腹痛を黙っていた動機との繋がりが悪い(薄い)。もっと説得力が必要である。

 

また明石家さんま的あるいは吉本的「笑い」はもう時代遅れなのだろう。少なくとも、『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』『映画大好きポンポさん』が登場した2021年夏のアニメ映画市場において他の作品に太刀打ちできるようなものではおよそない。吉本ムラ的、お笑いムラ的、芸能人ムラ的範囲でのみ通用するお笑いセンスである。そういう意味で著名人の宣伝プロモーションで駄作が良作と信じられ、そのようなものとして表層だけが消費・喧伝されていく悪しき消費主義社会の慣行の例証として、やはり『えんとつ町のプぺル』と同様であろう。

 

我々は全く肌理の粗い通俗道徳や義理人情、オールウェイズ三丁目の夕日の説教、時代遅れのギャグ・センス、そういうものを見るために(アニメ)映画を見てるわけではない。もっとこう、実写ではないアニメだからこそ切れば血が出るような「精神性」の作り込みが必要になるのに、出てきたものが通俗人情劇のしかも質が悪いものじゃあどうしようもない。

 

明石家さんまプロデュースの吉本興業製作、STUDIO4℃制作の時点でプペルの二の舞は必須だったともいえる(後二者が噛んでるのは観た後で知ったのだが)。

 

3.劇判の過剰性

 とくに病室でのキクコと肉子ちゃんのやりとりで、キクコが肉子のもとからは去らないというシーンを筆頭に、劇判が「ここは感動して泣くところですよ~」と指示を出している上に、うるさすぎる(音が大きすぎて違和感があり気がついた)。フーコーの指摘した「規律訓練的権力」が国家、刑務所、病院、学校からついに「消費者の映画の鑑賞の仕方」にまで進出してきたことがわかる。笑(まあ「会社」で慣れてる人間ばかりでしょうが・・・)

 

***

 

「作品自体がどうかではなく、みんなが面白いと言っている作品が面白いのよ!」

「ハートフルだと宣伝され、著名人もそういっている作品が感動作品なの!」

 

そんなわけはないのである。

 

もっとひとりひとりがちゃんと映画を観て自分自身の感覚を他人に譲り渡すことなく正確に吟味してくださるよう切に願うばかりである。