想いの系譜――『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』評註 その1
1 はじめに
既に鑑賞した者にとっては直ちに理解可能であろうし、そうでない者にとっても容易に推認可能であろうが、140分という長時間、かつ細かい描写を得意とする京都アニメーションの、フルスケールで、しかも事件後初の本格作品でありスタッフの思いがある種オーバーヒート気味に込められていることを踏まえると、とてもではないが1、2度見た程度で何かを言うことは憚られる。しかし、さしあたりの感想を備忘録としてしたためておくことは許されよう。そこで、まずは「その1」と銘打って、基本的にはDVD発売後を見据えた検討の素材として、現在感じたものを素描しておくこととする。
物語は、アン・マグノリアの孫、デイジー・マグノリアとその父母が、アン・マグノリアの葬儀直後にアンの暮らしていた邸宅に黒服で居るところからはじまる[1]。
つまり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが亡くなった後の世界から、過去を振り返る形で描かれる。
この時点で、「ヴァイオレットの物語は本作でおしまい」という明確な意思表示があると鑑賞者は理解する。
一抹の寂しさを覚えながら。
しかし、物語も人生もいつかは終わるものである。
***
この直後に海への感謝祭、つまりヴァイオレットが生きていた時代(デイジー・マグノリアから見れば60年程度昔)の話になる。
この時点で、物語は時間軸で見て大きく二本、デイジー・マグノリアから見た現在と過去の二本立てで進行することが把握される。どちらがどの程度の割合かは不明であるが。
3 ヴァイオレットの物語――本編の続き
(1)はじめに
デイジーの過去篇=ヴァイオレットの現在篇は、大きく二本の物語が軸になり話が進む。
ひとつは、ヴァイオレットとギルベルトを軸に、そこにホッジンズやディートフリートが絡む物語、もうひとつは、ユリス少年の遺書を巡る物語である。
(2)感謝祭と献呈詩
感謝祭の献詩の起草者に、ヴァイオレットが選ばれる。
このヴァイオレットの献詩の内容は、ここでは明らかにならず、後にエカルテ島での慰霊行事の際に吟じられ、おそらくはラストの海で「たゆたう」二人、ヴァイオレットとギルベルトの描写に繋がっている。
行事後に立ち話をしているヴァイオレットやホッジンズのところに、市長が訪ねてくる。
市長はヴァイオレットのダミアン国王戴冠式での式辞の出来の良さを褒め、今回の感謝祭にヴァイオレットを推薦したのは私だと明かすが、ヴァイオレットは私の才能ではなくダミアンの志が高かっただけであるとすげない態度。
さらに戦時中の少女兵としての活躍を市長が褒めると、戦ったのは私だけではないし、また私は多くを殺した、だから褒められるいわれはない、と返す(おそらくヴァイオレットはこの罪の意識を理解しているからこそ、後にギルベルトがヴァイオレットに会いたくないと言ったときの、過去を思い出してしまうという苦悩が、全てではないにしても、扉を挟み、見えないギルベルトと同様にこぶしを握り同様に苦しむ程度にはわかるのである[2])。
この際、ヴァイオレットは画面右端に小さく描写され、画面の大部分は背景の海である。
(3)休日、テニス、墓参
休日の話。ヴァイオレットの自立の話(13話。「命令は、もういらないのです。」これはギルベルトあるいはデイートフリートあるいは人一般からの自立)と、それとまあ表裏のホッジンズの過保護の話。
ギルベルトとデイートフリートの母の墓に月命日に供えられていた花は、その前日にブーゲンビレアの親族に見つからないようにヴァイオレットが墓参していた。ここも生者から死者への純粋な贈与。
「ギルベルトの代わりか?」と問うデイートフリートに「代理ではなく、私の意思だ」と返すヴァイオレット。
そこでデイートフリートはヴァイオレットに「ギルベルトのことは忘れろ」と言うが、「それはとても難しいのです」と返すヴァイオレット。
後のホッジンズとカトレアの会話のとおり、同じ痛み(ギルベルトの死)を持つもの同士、お似合いなのかもしれない。
この後、ヴァイオレットが墓に落としたリボンを届けにデイートフリートがCH郵便社に行き、ギルベルトの私物をもしよければ引き取りにくるようヴァイオレットに告げる。
その後のホッジンズ、ベネディクト、ヴァイオレットの食事会でホッジンズの過保護ぶりと、ヴァイオレットの精神的な自立が相当程度進んでいることがわかる。
(4)ユリス少年からの依頼――遺書
墓参から帰社(帰宅)したヴァイオレットのところに、少年の声で依頼の電話が。
呼ばれた場所は病院。
ユリスと名乗る少年は、代筆料もままならないものの、余命いくばくもないことを自覚し、父母と弟に、自分がいなくなった後に三人に元気になってもらえる手紙を書いてほしい、と依頼する。事実上、遺書の代筆の依頼である。ヴァイオレットは緊急条項といって子供だから値引きするとして依頼を引き受ける。
ユリスは、「天国に旅立った日に両親と弟に渡してくれ」と。
2人は指切りをして約束をする。
(5)デイートフリートとギルベルト
デイートフリートが処分するというブーゲンビレア家の船に、遺品を貰いに行くヴァイオレット。ホッジンズには行くときには報告すると言っていたのに、していない。
ギルベルトの遺品を見ているうちに、過去を想起するデイートフリート。昔父に連れられ歩いていた際に、ブーゲンビレアの花を示した父に、「その花ではなく軍隊を見せたかったのだろう?」「ブーゲンビレアの家は代々軍人で、自由などないのだ」、と。デイートフリートの胸倉をつかみ殴ろうとする父を諫めるのはギルベルトで、「自分が進んで陸軍に入るから」と。「反抗的な俺の代わりに、弟の人生を制限してしまった」と後悔を述べる。
ルクリアと兄との間での物語を想起し、「その気持ち、少しはわかります」とヴァイオレット。「お前にわかるのか」と呟くように返すデイートフリートは、すぐに気がついて、「いや、皮肉ではない」と付け足す。ヴァイオレットは「わかっております」。と返す。
船上に出た後、先の墓所での「もう忘れろ」発言を謝り、「お互い、失ったものは大きい」とヴァイオレットに告げるデイートフリート。「もっと言いたいこともあったのに」と。
(5)兄弟愛の物語
場面は変わり、ヴァイオレットはユリス少年のところで執筆の続き。
ユリスが弟を想う気持ちは、デイートフリートがギルベルトを想っていた気持ちなのだ。そこから類推して、少しませたユリス少年の、その本音を探り出していくヴァイオレット。
「比較」や「類推」は、比較や類するをする物語の双方に影響を与えるのである。
帰ろうとするヴァイオレットに、ユリス少年が「実はもう一通書きたい」と。
それは、お見舞いを断ってしまった友人のリュカに対してであった。しかし、そこでせき込んでしまい、この日は作成できずじまいであった。
(6)ギルベルトの生存?
CH郵便社のあて先不明の郵便物倉庫で、ホッジンズはギルベルトの筆跡に似た手紙を発見する。
まずは海軍省のデイートフリートを訪ね、筆跡を確認すると同時に、調査を依頼する。
その際、ヴァイオレットの心に付けこむ(?)デイートフリートを警戒するホッジンズに対し、「お前はあの娘の保護者ではない」と言うが、返す刀で「それをお前が言うな」とホッジンズに返され、胸倉をつかまれる。これに対し、謝罪し「結局、こういうところがいけないのだ」と(珍しく)反省するデイートフリート。もはやかつての皮肉が減り、別人になってしまったように柔らかくなりつつある。
デイートフリートもまた、ヴァイオレットと関わった/ることで変わっていっているのである。
(7)エカルテ島へ
果たして、ホッジンズとヴァイオレットは、差出人の住所、エカルテ島へ向かう。
出立前、「少佐に、何から話していいのかわからない」と言い現状か気持ちかとまくしたてた後に「気持ち悪くないでしょうか?」と。テンパるヴァイオレットの手を握り、諭すのはカトレア。「行きの旅路で手紙を書いたらいいのでは?」と。ヴァイオレットは実際そのようにする。
***
島に到着し、学校へ。
逸る気持ちを抑えきれないヴァイオレットに、まずは自分だけが行くというホッジンズ。「私は気にしません」と必死の形相のヴァイオレットに、「向こう(ギルベルト)が気にするかもしれない」「小さい島だからいろいろ噂をたてられたくないだろう」と。「承知いたしました」と引き下がるヴァイオレットだが、ホッジンズの「初めての土地だから散策しておいで」に対しては返事をするものの、実行する気配はない。あくまで門の前で待つつもりである。
――果たしてホッジンズの聞いた声、見た人、それはまさにギルベルトその人だった。
すわ感動の再会か?と思いきや、どうもギルベルトは乗り気ではない。
「私があの娘を不幸にした」と。
「だからあの娘には会えない」と。
「帰ってくれ」。
インテンス最終決戦で失った右腕を義手等装着せず、また上着の右腕の長袖をたなびかせているのは、自分への罰か?
ひとまず退くホッジンズ。さて、ヴァイオレットにどう説明したものか。
ホッジンズが戻ると、既にヴァイオレットは子供たちから先生の特徴を聞き、それがギルベルトであると同定していた。ホッジンズはギルベルトに会えたことを認めるものの、その発言や態度からヴァイオレットは、ギルベルトが会えないのではなく、会いたくないと言っていると推測し、一歩を引くが、しかし、ホッジンズがギルベルトと会ってきた方向へ向かって走り出す。しかし、もうギルベルトはいない。
***
自宅をつきとめ、再度面会を求めるホッジンズと、ヴァイオレット。
ドア越しに、
「どうしてお会いになってくれないのですか」
「今では愛してるも少しはわかるのです」
の殺し文句を突きつけてもなお帰ってくれというギルベルト。
雨も強くなる。
炎も強くなる[3]。
ギルベルトの、ヴァイオレットに対する、ヴァイオレットを不幸にしたのは自分だという後悔の念をも理解するヴァイオレットは、自分の存在こそがギルベルトを苛んでいるいると理解し、強い雨のなかを駆け出し、ギルベルトの自宅から離れていってしまう。ホッジンズはギルベルトに向かって「大馬鹿野郎!」と叫び、ヴァイオレットを追いかける。
(8)嵐の夜の電報――ユリスの死
ヴァイオレットとホッジンズは灯台の郵便局に泊めてもらうことになった。
夜は強い嵐である。
そこに電信が入る。病院からCH郵便社に、ユリスが危篤であるとの連絡が入ったとのことである。
ギルベルトに会いたいという自分の願望より、ユリスとの指切りを優先しようと、灯台を出ようとするヴァイオレット。
しかし、ギルベルトに会うことを諦めたところで、嵐もやまず、またライデンに帰るまで最短でも3日かかる。それまでユリス少年は持たないだろう。
追い詰められるヴァイオレット。
しかし、そこには、まさに電信で連絡がきたのである。であれば――――。
かくして電信でやり取りし、ベネディクトとアイリスが車で病院に手紙とタイプライターを持って向かう。両親と弟への手紙はよいが、リュカへの手紙がまだ完成していない。
病室につくと、両親、弟、医師、看護師がおり、ユリス少年は依然ヴァイオレットとあったときからみて衰弱しやせ衰え、唇が乾燥し、まさに危篤状態であった。
ユリス少年は「ヴァイオレット?」と尋ねると「アイリスよ。ヴァイオレットは今、遠いところに行ってるの。大切な人に会いに。」
「それって、ヴァイオレットに愛してるをくれた人?」とユリス少年。
「そうよ。」とアイリス。
「よかった。」[4]とユリス。
アイリスがいざ、リュカへの手紙の作成にかかろうとすると、せき込み、もう作成は不可能である。もう詰んだか・・・?
しかし、まだみんな諦めていない。ベネディクトが車でリュカをリュカの家の近所の金持ちの電話がある家に無理に連れていく。アイリスは病院の電話の延長コードをユリスの病室まで引く。
アイリスが病室外に出てつぶやくように、電信も電話も「やる」、つまり手紙にないいいところもまたあるのである。
リュカに「ごめん」と「ありがとう」を伝えられたユリスは、電話直後に息を引き取ってしまう。
そして、アイリスが、ユリスが両親と弟へ宛てた手紙を渡す。それを読んだ両親は涙し、他方で弟はまだ死の意味もよくわからない風で、もうベッドの上で動かないユリスに笑いかけ体を揺らす。
ユリスを失った3人は、そしてリュカは、ユリスの願ったとおり、これからも元気に生きていけるだろう。
***
ユリス少年の一見の消息を灯台で電信で把握したホッジンズとヴァイオレット。ホッジンズは明日殴ってでもヴァイオレットとギルベルトと会わせると言うと、ヴァイオレットが「いいえ。少佐を殴るなら、私が」と。ヴァイオレットはすぐ「冗談です」と続けるが、冗談であろうとなかろうと、以前のヴァイオレットであれば考えられない発言である。ヴァイオレットは確実に(特に情操が)成長していることがうかがえる。
(9)ヴァイオレットからギルベルトへの手紙
翌日、島の子供に先生に渡してくれるようにと手紙を託し、帰路につくヴァイオレット。
ちょうどそのころ、ギルベルトが作っていた農地の葡萄運搬用の滑車が完成し、上下でもののやりとりができるようになる。
滑車の下の、崖際にいたギルベルトに、眼鏡の島の老人が声を掛ける。「あんただけが背負う必要はない。」と。「わしらみんなの責任かもしれん。」と。
「戦争をすれば豊かになる、そう思っとった」。
「ライデンの奴らが憎くてたまらなかったこともある」。
「でも、みんな傷ついとった。」
「帰るところがあるんなら、帰った方がいい。」と。
しかし、「ここに残る」と言うギルベルト。
「まあ、わしらはその方が助かるがのう。笑」
その後、デイートフリートが登場する。
母親の葬儀に出なかった件を追及し、また言いたいことがあったと告げるが、何よりその母の月命日にヴァイオレットが欠かさず献花していることを告げ、「今はなによりお前を頭陀袋に詰めてヴァイオレットの前に投げ出してやりたい」とのこと。
そこに、先ほどヴァイオレットが子供に託した手紙が、滑車を降りてきてギルベルトのところに届く。
内容は、ギルベルトへのこれまでの感謝。ギルベルトが生きるすべを教えてくれ、常にそばに置き、ブローチを与えてくれ、そしてなにより「愛してる」をくれたことが、生きるミチシルベになっていると。だから大丈夫、今までありがとうございました、と。
これを読んだギルベルトに対し、デイートフリートは「みんな素直になれんな。」と告げた直後に「ブーゲンビレアの家は俺が継ぐ。お前は隙にしろ。」と素直でない台詞。苦笑 デイートフリートらしいといえばらしい。笑
ギルベルトは無我夢中で走り始めた。
右手を失い、バランスのとりづらい体で、ぎこちなく、未整備の道を必死で走る、走る。
その頃には船に乗り、島を徐々に遠ざかるヴァイオレット。
そこに、「ヴァイオレット!」と少佐の声。
顔を少女のように赤らめ(いや、もちろん少女なのですが)、横デッキから身を乗り出し声の方を確認し、そしてホッジンズの横を駆け抜け、後部デッキから一気に海にダイブ!
ギルベルトも転がるように未舗装の道を下り、というか実際に転び、そして海に到達する。
(10)ヴァイオレットとギルベルト
ヴァイオレットが感謝祭でしたためた、海の女神に捧げる歌のとおりに、二人はたゆたう海でお互いの姿を見た状態で再開する。
かつて「武器」や「道具」と呼ばれ、ドールになって多くの経験を積んだ後もアン・マグノリアに本当にお人形さんと勘違いされ、また市長・市長夫人にもまるでお人形さんのようだと言われたヴァイオレットが、顔をぐしゃぐしゃに崩して泣きじゃくり、言葉が出ない。
これは、これまで無数の言葉を紡いできたヴァイオレットにさえ、言葉にできない「あいしてる」がある、ということを示唆している。
4 ギルベルト生存問題
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』シリーズとしては、9話のラスト、ヴァイオレットがかつてギルベルトから贈られた「その名が似合う」人になろうと絶えず努力する、そういう終わり方のほうが「死者から生者への手紙」の主題系ともマッチし、ともすればより綺麗な形であり、いわばギルベルトは死んだままでも何ら問題なかった、はずである。
しかし、なぜか生きている。
さて、ここで作劇上の困難が生じる。
ギルベルトが死んでいればヴァイオレットが一方的に思い続けているだけでよいが、生きているとなると話が変わってくる。
まず、「今」のギルベルトの気持ちがある。
今まで私を含めた鑑賞者は、ヴァイオレット目線で物語を見てきたから、ヴァイオレットのギルベルトへの気持ちも、成長も、全て理解でき、従ってヴァイオレットに会おうとしないギルベルトが理解できない。しかし、仮に自分がギルベルトなら――理想としてはヴァイオレットを美しいもの、心躍るもののなかだけで育てたかった、それはよくわかる。しかし、現実には血なまぐさい戦場で殺人を強いてきたのもまた事実である。その挙句、インテンス最終決戦では自分をかばうために両腕を失ったのである。ヴァイオレットがドールとして成功しているなら、なおさら会いたくないという気持ちも、十分理解できるのである。
それに、それを受けたヴァイオレットの気持ちの変節だって当然に考えられる、からだ。
もはや「美しい、過ぎ去った思い出」として大切に愛でているわけにもいかない。
より繊細で複雑なやりとりが要求されることになる。
これこそが、ギルベルト生存問題である。
しかし、ヴァイオレットは、ここまで積み上げてきたドールとしての経験と感性で、すぐそこにいるにもかかわらず自分と会おうとしないギルベルトに手紙を書き、そこで今までの感謝と成長を示唆することができた。
ギルベルトが生きるすべ、ブローチ、そして何より「愛してる」をくれたから、今の私があるのであると。
これこそが、ギルベルトを縛る、ギルベルトがヴァイオレットにかわいいものを与えて心躍らせる状態にしてやりたかったがその実は戦場に連れ出すばかりでできず、挙句両腕を失わさせたその後悔の念を解きほぐす言葉だった。
今までのヴァイオレットのドールとしての、ギルベルトの愛してるを理解しようとしてしてきた努力がなければ、おそらく紡げなかった言葉である。
デイジー・マグノリアの物語のラストは、ヴァイオレットと同様、エカルテ島である。
エカルテ島でのみ発行されているというCH郵便社記念財団発行の、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが歩いている様子を横から写真で切り取ったような、そんな絵柄の、全体が紫=ヴァイオレットの切手を貼った手紙を、冒頭で喧嘩した両親のところへ贈る。
素直な気持ちを手紙にしたためて。
大切な人は、今しかいないから。
6 3つの物語と想いの系譜
ユリス少年の物語
ヴァイオレットの、あるいはデイートフリートの物語
本作を構成する3つの物語に共通する主題系は、「素直な想いを伝える」ということである。
前2つの物語は明確に、親から子へ、子から親と弟へという対比はあるものの、「死者から生者へ素直な想いを伝える」と括れるし、最後の1つにしても、ギルベルトは既に死んでいたと受け止められていたのだから、これも「死者から生者へ素直な想いを伝える」と括ってもいいのかもしれない。しかし、最後の1つについては、単にギルベルトからだけでなく、――ギルベルトが生きているゆえであるが—―ヴァイオレット、デイートフリートからの想いの伝達もある。そこで、生/死を対比させずに、「素直な想いを伝える」として括ったものである。
「死者から生者へ」という部分は、マルセル・モースが『贈与論』で言う贈与の3要件の最後の1つ、返礼への期待、を原理的に欠いた贈与であり、échangeから解放された純粋な贈与である。だからこそ、アンの母のように、ユリス少年のように、あるいは亡きギルベルトを想うデイートフリートのように、素直になり、言葉に嘘がなくなる[5]、そういう意味合いを事実上持つ。
***
本作が、デイジー・マグノリアの現在と、ヴァイオレットの現在の二本立てで展開されてきたことの意味は、ヴァイオレットが手紙で繋いだ思い、関係が、デイジーの時代まで連綿とつながっていること、「してきたことは消せない」(ホッジンズ・9 話)こと、つまりヴァイオレットの人生、あるいは人の人生そのものの示唆である。
デイジー・マグノリアがエカルテ島の郵便局で見た局員のおじさんが親指を立てるグッドマークの系譜は、ヴァイオレットを媒介にユリス少年に繋がる。
他方でそのデイジー・マグノリアがエカルテ島に来た理由の系譜は、祖母アン・マグノリアの母がアン・マグノリアに宛てて書いた50年分の誕生日ごとに配達される手紙を見つけたからであり、その手紙をしたためたのはまたヴァイオレットである。
ヴァイオレットが繋いできた想いは、60年後の今も、連綿と受け継がれている。
オープニングのタイトルは、「WILL」。
エンデイングのタイトルは、「未来のひとへ」。
いずれも未来を見据えている。
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冒頭が喪服で始まり、途中のギルベルトとデイートフリートの母の墓の前での「忘れることは難しい」という話。
繰り返される死者から生者へ贈られ、そしてまた後世に受け継がれる誰かが誰かを素直に大切に想っていたということを示す物語の数々。
これは2019年7月18日に発生した京都アニメーション放火殺人事件における36名の犠牲者の追悼作品、「あなたたちをわすれない」というメッセージにもなっている。
そう、想いの系譜は今ここにもしっかりと繋がっているのだから。
[1]本当の最初は、おそらく夜の、未整備の土の道の上(おそらくはエカルテ島の道路)の二本の轍の描写である――エンディングの後に判明するが、この轍の先に切手になったと思しきヴァイオレットが歩いている。ヴァイオレットの人生丸ごとの比喩なのだと思われる。
[2] 同じ動作をしているからといって同じ気持ちであるとは限らないのは当然だとしても、同じ動作をしていれば同じ気持ちである場合もあるし、そうでないよりは確率が高いのではないか。
[3] 正直、2019年7月18日の京都アニメーション放火殺人事件以後、しばらくは京アニは火や炎の表現は無理だろうと思っていたが、なされていた。
[4] 死の間際にすら、いや、だからこそ、他人を思いやれるのかもしれない。
[5] もっとも、「返礼できない」ことを利用して呪いをかけられてしまう場合もある。