人文学と法学、それとアニメーション。

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キャラクターの使い捨て──『ONE PIECE FILM RED』覚書

ONE PIECE FILM RED』、開始10分まではONE PIECE』、以降は『Fate/stay night / Heaven's Feel』と聞いていたが、個人的には開始30分ONE PIECE』、以降は劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』だなと思った。

 

とはいえ、そんな話は結末を見届けた私からすればもはやどうでもいい。

 

私が許せないのはキャラクターを使い捨てにし、ぞんざいに扱っていることである。

 

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「ウタ」はシャンクスの娘(という設定)であるが、『ONE PIECE』本編には登場しない。

 

原作連載25周年を記念して作られたONE PIECE FILM RED』の、そのためのヒロインである。

 

そのようなキャラクターを映画終了と共に死なせるのは、しかも半ば自身がやったことの責任を取らせる形で死なせるのは、あんまりであり、ウタをぞんざいに扱っているといえる。

 

どうにかウタが生き残るシナリオにできなかったのか。

 

確かに彼女は選択を間違え、人類補完計画サードインパクトを引き起こすまであと一歩までは行ったかもしれない。でも、最後は戻ってきた。その彼女が死ななければならないというのは、さながら現実世界で「一回間違えたらもうまともなレールの上は歩けない」と考えられており、また事実概ねそのとおりなのとパラレルである。しかし、そのような取り返しがつかないことを取り返させられるのがフィクションではないのか?(さながら森鴎外山椒大夫』の山椒大夫一派ですらなぜか救われてしまったように)。令和のこの世の中に自己犠牲は似合わない(『天気の子』以後の世界ですよ、ここは)。

 

ウタを殺すのであればウソップとかロビンとかチョッパーとかフランキーとか誰でもいいから麦わら海賊団の一味一人くらい殺せよ…じゃないとバランスが取れねぇだろうが!?(真島)

 

しかもご丁寧に「ウタは実はシャンクスの実の娘ではなかったんです…」といった、ちょっと死なせてもショックが少ないエアバック付き。なんだそれは!?このような蛮行は断じて許されるべきではない。

 

とはいえ、まぁ「悲劇ジャンルだから…」というならまぁ仕方ないが(喜劇ばかりじゃないのは当たり前)、しかしやはりウタをぞんざいに扱っているには違いない!!(憤怒&本稿の最初に戻る)。

 

最強のメンツ揃えてるのだし、いくらでもハッピーエンドにできただろ!!

 

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加えて、最後、ルフィが目を覚ましたのち、シャンクスの船とルフィの船が別れていくシーンでのシャンクスの海賊団のメンバーの沈痛な雰囲気、ルフィの何か察したような麦わら帽子の被り直しとウタと夢で最後に交わした会話の回想…間違いなくウタは死んだと推論できる。

 

しかし、その後のエンディングでは出てきた皆がウタの歌を聴いているカットが連続して出てき、しかもウタまで(他のキャラクターとは違う位相としてとも見うるが)出てくる。

 

不明瞭エンドについて、「あとは観客の想像にお任せすることとして…」というような主張、あるいはともすれば弁解を聞くことがしばしばあるが、ウタの生死という重要事がかかるこの場面で、エンディング以前の雰囲気でミスリードを誘いましたというのは演出として不誠実であれば、あれだけウタの死を示唆しながらエンディングで申し訳程度の生存可能性を示すのも演出として不誠実であって、いずれにせよウタをぞんざいに扱っている。


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また、最期のルフィの決めゼリフ、「海賊王に、俺はなる!」はよくわからない。


かかる決めゼリフとウタが目指した世界との関係も不明である。


というか、ウタとルフィやシャンクスのあり方が相容れないからこそ、本編には出せず、ONE PIECE FILM RED』の中で殺さざるを得なかったのかもしれない。

 

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以上述べてきたように、私はウタをぞんざいに扱ったという理由でONE PIECE FILM RED』はよくない映画であったと評価する。