人文学と法学、それとアニメーション。

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暴力とポリコレ、そして運命列車──『ブレット・トレイン』評註

ホワイトデスとその一味が「怯えている」ことを喝破したエルダーは、まさに問題の所在を的確に見抜いている。そう、暴力を振るう者は、暴力に怯えているのである。『走れメロス』のディオニュソス王がそうであったように、猜疑と暴力、そして報復はセットである。

 

レディバグはもちろん正当防衛はするが、ウルフあるいはレモンに遭遇したときから一貫して「話し合い」による解決を主張していた。

 

最初の「銃は嫌いだ」からはじまり、アンガーコントロールのすすめや、注意してきた婦人へ悪態をついたけとの謝罪、セラピスト紹介しようか、など有害な男性性つまり暴力から降りた形での解決を主張していた。

 

ファイト・クラブ』は解散。

 

また、タンジェリンを(正当防衛とはいえ)死なせてしまったのに弟分のレモンと、エルダー、ファーザーを介して組み、ホワイトデスと対決するに至る過程は、まさに「暴力による報復の連鎖の遮断」であり、直接の下手人ではない背後で糸を引いていた者(ホワイトデス)こそが真に責任を持つべきことの仄めかしはあったものの、「赦し」(赦してはないのだが…)の過程である。

 

 

挙げ句の果て、全て解決した後に迎えにきたマリアの前で子供のように泣く。男らしさからはとうに下りているのだ。

 

15禁スーパーバイオレンス映画で敢えてこれをやることの両義性。笑

 

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エルダーが言ったように具体的な個々人を恨んでも仕方なくて、構造を、本作であればホワイトデスを叩かなければダメ、ということ。

 

そしてそのためには偶然敵味方に分かれ仇になっていたとしても、強力して必然(構造変革)に向かわなければならない。

 

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しかし、レディバグがレモンのふりをしてタンジェリンと共に途中の駅で降り、ホワイトデス一派をうまく騙せたのに、レディバグがブリーフケース未開封をアピールし、かつカッコつけたがったがために3桁回転ロックジャララララーと回して奇跡的に番号が揃ってしまい、ブリーフケースが開き中から金塊と札束ではなく大量の大人のおもちゃが出てきて偽装がバレた、その「運」の悪さは、まさに10年前の峰岸そして今回のエルダーを殺そうと回転させたリボルバーロシアンルーレットとパラレルである。

 

てんとう虫は天道虫であり、背中の七つの星は悪運であった。

 

人生は必然と偶然が織りなし、また運と悪運が織りなす。人間万事塞翁が馬ではないが、見方が変わると評価が変わることはある。ホワイトデスがプリンスから取り上げた拳銃を使用した結果、プリンスの仕掛けた爆薬で死に、またプリンスがオレンジトラックに轢き殺されたのも、一見偶然だが必然だった。レディバグの目から見たら偶然殺し屋ばかりが乗ってくる新幹線は、実はホワイトデスの意図だった(運命の列車…『輪るピングドラム』かよ…)。ホワイトデスの妻の死は偶然だったが、そこに至るまでの偶然をコントロールできる力があったなら必然だったのであり、コントロールできたのにしなかったならそれは自分の責任なのである(刑法因果関係論の因果操縦説かよ…)。そして、そのホワイトデスの偶然コントロール、すなわち必然の世界に、ホワイトデスの妻暗殺の実行犯コビーの「代理」として偶然紛れ込んでしまったのが、不幸なレディバグだった。もちろんレディバグに罪はないが、ホワイトデスの必然を偶然崩したには違いない。だからホワイトデスはレディバグに銃を向け、引き金を引いたのだった。

 

ファーザーがホワイトデスに投げたペットボトルの水一つとっても、極めて複雑な偶然の因果を辿り、そこに必然的にあるのだ。

 

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ラストの新幹線脱線衝突シーンは、脱線事故現場を見たことがある人はフラッシュバックしかねないと思うくらいリアルだった。