人文学と法学、それとアニメーション。

人文学と法学、それとアニメーション。

組織の論理あるいは国家機能の価値中立性──『ヒトラーのための虐殺会議』覚書

 

 

会議の雰囲気が完全に厄介な産業廃棄物の最終処分をどうするかという自治体や行政庁間での押し付けあいのそれである。割り当てられた処分数と取引。処分の優先順位で揉め、また処分についての官庁間の権限で揉めている。しかし、もちろん産廃ではなくユダヤ人の「処分」についてである。

 

ヴァンゼー会議を観ているだけならば、アイヒマンは普通に主犯格というか、これはマルティン・ルター外務次官補ともども当然責任を問われるだろうという感じである。エルサレム〈以前〉のアイヒマン』も結局積んだままだからまた読まないと…苦笑

 

ナチ党や親衛隊はともかく、クリツィンガー首相官房局長やシュトゥッカート内務次官など、官僚サイドはやや抵抗してる。ニュールンベルク法のユダヤ人の定義の論争など。

 

最後にヴァンゼー会議参加者がニュルンベルク裁判等でどういう結末になったのか(まぁ著名なラインハルト・ハイドリヒ国家保安本部長官はともかく)示すべきではと思ったが、映画中では明示されなかった。しかしそれはパンフレットに載ってはいた。

 

そしてパンフレットについては文句がある。成田悠輔の「地獄は悪魔が作るのではない。賢くマメで、タダ飯に弱く、周りをキョロキョロしながら隣の席の上司にはつい相槌を打ってしまい、後悔しても帰り道の酒で忘れるような凡人こそが作るのだ。」とのコメントが入っている。これは高度なギャグか何かか?仮にギャグだとしても成田が「高齢者は集団自決すべき」云々の発言を繰り返している以上、もちろん笑えないが。また佐々木俊尚のコメントが入っているのも正直パンフレット作成者の見識を疑う。金返せ。