主従関係3つの比較と、人外としては等価である悪魔と天使の反転、さらにラストの自己犠牲を自己犠牲でもって救うがそもそも最初の犠牲を強いた起点の悪魔(まぁウルティマが今回のデウスエクスマキナなのだろう)が「少し多めの」御礼として元凶を手元に回収して人間は助かる、というそういう話であった。とてもよくできていた。主従関係3つの比較と、人外としては等価である悪魔と天使の反転、さらにラストの自己犠牲を自己犠牲でもって救うがそもそも最初の犠牲を強いた起点の悪魔(まぁデウスエクスマキナなのだろう)が「少し多めの」御礼として元凶を手元に回収して人間は助かる、というそういう話であった。とてもよくできていた。
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3つの主従関係とは、リムルとベニマル、トワとヒイロ、ウルティマとラキュアである。
リムルとベニマルは互いに裏表がない。
しかしトワとヒイロには、トワがヒイロに目をつけてあえて助けたという関係があり、ヒイロが忠誠心を持てば持つほど、トワはその利害打算で助けてしまったことに苦しみ悩んでいる。そこをラキュアに突かれるわけである。ヒイロはトワへの忠誠を誓うが、信頼関係が未熟だからこそ、トワの真意に気づけない。結局ラスト、ヒイロを復活させるためにトワ自身に犠牲を強いる羽目になる。『オセロ』の筋立て。
対して、ウルティマとラキュアの間では信頼関係がおよそ成り立ってない。たしかにラキュアはウルティマに忠誠を誓っているが、ラキュアの「真意」を推究しようとはしない。結局、見捨てられ、ラージャ国民を巻き込み自爆テロをしようとするが、リムルに防がれ、何も残せない。
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ストーリーの中で重視されている価値観は意思の自発性の尊重である。現実の日本社会にはない、もしくは稀なものでもある。
そして、その尊重は敵味方関わらずそれをやっており、ただ一人、その規範を犯したのはラキュア(と仲間の医者)であった。