人文学と法学、それとアニメーション。

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人生の長短と何を残すか──『No Time To Die』と『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』

今年公開された『No Time To Die』と『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』の主題(の少なくとも一部)は、全くの偶然によるものであろうが、同じものだったように思う。

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No Time To Die』は、人生の残り時間を使って何を残すかということについての対比が軸になっていたように思う。サフィンは人類を浄化し偉大な世界を残そうとしたが、ボンドは一人の子と浄化が阻止された世界を残した。ボンドにとってはNo Time かもしれないが、しかし観客にとってはMuch Timeだろ?(まだまだやれるだろ?)という問いかけ(というか慫慂)の含意も多分にある。

 

また『劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!』も、Δシリーズでのヒロインのフレイアがハヤテと国を守るために自分の命を燃やして、結果敵に勝てるものの、フレイアは亡くなるという話である。ハヤテとフレイアの間には子供はなく、というかセックスすら行っておらずラストでキスするのが精一杯である。しかし、敵が利用していた人工知能からワルキューレたちの歌声を受けて生まれた胎児を生きて助けることができた。このフレイアに似た子(フレイアの歌声の影響を受けた)を、ハヤテは育てることになる。

 

この2作品のテーマは、『四月は君の嘘』や『余命一ヶ月の花嫁』にも通底する、「人生は長さではない、何を為し、何を残すかでたる」ということにあったと思う。

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