どうか、もう迷わないように――藤本タツキ『ルックバック』評註
藤本タツキ『ルックバック』が2021年7月19日午前0時に公開された。
内容といい、公開のタイミングといい、これは2年前の2019年7月18日に発生した京都アニメーション放火殺人事件を念頭に置いていることはほぼ間違いないだろう。
本作の主題の一つは、作家論であろう。
「あなたは何のために描いてますか?(創作していますか?)」
それに対して藤本タツキはこう答える。
あなたが私の漫画を読んで、心から笑ってくれたから、と。
だから描き続ける(描き続けられる)のである。
ここには、もうひとつの主題系が潜んでいる。
それは、全く適法な自己の行為であるものの、その結果、大切な人を死に追いやってしまった人の、死との向き合い方、後悔との対峙の仕方である。
アニメ制作者には繊細な感性の持ち主が多いとよく言われる。仮にそうでないにしても、犯人の盗作の主張が全く無根拠の妄想であったとしてもなお、自身の作品が放火殺人事件を招いたのではないかと思い、そしてまたこれから先同じことがあるかもしれない、と不安に駆られていた人は多かったのではないだろうか。
あるいは、故人をアニメ制作の道に導いた人、京アニを受けるよう勧めた人、応援していた人、そして採用した京アニ。
あのとき、私が誘わなければ、死ななくてすんだのに――。
本作は、それに対して明確に対応する形では答えを出してはいない。
ただ、藤野は京本の部屋にあった自分の漫画を読み、そして中止していた連載の続きを描くことを決意するのである。
そこで藤野の脳裏をよぎるのは、自分の漫画を笑い転げて読んでいた京本であった。
つまり、ここで2つの主題系は1つに統合される。
故人と関わったという選択を――そして結果として死に結びついた選択を――どうか後悔しないでほしい。
”そのためにも”どうか創作を続けて欲しい。
本作後悔のタイミング等から「不誠実」「売名的」「露悪的」「冒瀆的」だといった反発が出てくるのは十分理解できる。
しかし、あの事件を受けて、こういう応じ方がひとつなされたことは、事件後、事件に至る故人の因果を設定したことに苦悩する多くの人たちの救いとなった面も――当然、私はその人たちではないから、推測することしかできず、ともすればそれは独断と偏見の押し付けにすぎないのであるが――多分にあったのではないかと思う。
その意味でこれを製作し、公開してくれたことに個人的には感謝の念を示したいと思うし、これはむしろ藤本タツキの、事件を受けた創作者としてのひとつの「真摯」さの表れであると言ってよいと思う。反発が大いに予想されたのだからなおさらであろう。
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朋也「渚、俺はここにいるぞ」
渚「朋也くん、よかったです、声かけてもらえて…」
朋也「渚」
渚「もしかして朋也くん、私と出会わなければよかったとか、そんなこと思ってるんじゃないかって、すごく不安でした。私、朋也くんと出会えてよかったです、とても幸せでした…」
朋也「渚」
渚「だからどうか、もう迷わないでください、これから先、なにが待っていようとも、私と出会えたことを後悔しないでください。だめ、でしょうか?」
朋也「そうだよな、ありがとう」
(『CLANNADアフター』22話)
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2021年7月20日現在、京都アニメーションは存続している。しかし多くのメンバーを欠くことになったため、続編ではない新作は未だ作れていない。が、復活の途上にある。
この2021年7月からは『小林さん家のメイドラゴンS』の放送も開始された。