人文学と法学、それとアニメーション。

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肩の荷を下ろすこと──『お兄ちゃんはおしまい!』1話覚書

科学者たる妹・緒山みはりに盛られた薬でひきこもりの兄・緒山まひろは女子小学生になってしまう!!

 

トイレ(排尿の仕方)、スカート、ブラジャー、髪の洗い方から生理や女風呂、水着、化粧……と男から女に変わると色々大変なことが実感できる、という筋立て。

 

しかし、本作のポイントはそこだけではない。

 

1話で、女子小学生になったまひろが独白で言う

 

「優秀な妹の兄という立場、周囲の視線、重圧感。それだけが理由ではないけれど。その挙句、こんな風に妹のオモチャに…。でも実のところ今は妙に気分が楽だ。自分が身の丈に合った位置に収まった気がする。もういっそお兄ちゃんはおしまいにして、このまま

 

というセリフがポイントである。

 

まひろの引きこもりの原因について全ては語られてはいないが、一般に社会関係からくるあれこれのめんどくささが原因の一つではあろう。特に、我が国の男性は依然、ホモソーシャル的な紐帯のもとにある。そういった同調圧力──そう、女性の共同体に限らない──を不快に思い、息苦しいと感じる男性もまた多いのではないだろうか。

 

加えて、長男ともなるとなおさら家父長制的男らしさ、大黒柱的プレッシャーがかかる。

 

そして優秀な妹の存在。

 

そういったアレコレの(性別に纏わりつく)社会的束縛(つまりセクシズム)は、個人が個人として自然体で生きることを妨げる。

 

まひろの身体の女子小学生化は、そういった社会的束縛を解放し、心を自由にする機能をも担った可能性が、上記独白からは窺えるのである。

 

もっとも、男性性から降りたとしても、セクシズム自体は健在である以上、今度は生物学的性=女性性に基づいた性差別的不利益を被ること──最たるものとしては性犯罪被害に遭う可能性は十分にありえ、否むしろ、身体の女性化は単に生理がくることやブラジャーがなければ乳首が擦れて痛いといった身体的不利益を超えた、社会的不利益に到達してこそ、真に女性の立場がわかる、ということにはなりそうであるが、さしあたりはこのあたりで筆を擱こう。