人文学と法学、それとアニメーション。

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フィクションは人を救う──『ハケンアニメ』覚書

基本的には実写版『SHIROBAKO』といった趣きがある。
 
しかし、中身はSHIROBAKO』よりも濃いように感じた。
 
もちろん、齋藤と行城、あるいは王子と有科の監督・プロデューサー関係の対抗軸や、齋藤と王子の覇権争奪戦、行城が持ってくる宣伝イベントの苦痛さや、並澤と市役所職員の恋愛模様、王子のために有科が関の秩父のスタジオまで頭を下げに行きおにぎりを握るシーンなど、飽きない人間ドラマが繰り広げられると共に、アニメは奇跡なんだなぁと改めて。
 
王子がハワイ行ってたふりして都内のホテルに引きこもっていたり(その理由は「世界を一から作るものを簡単に書けると思われてることが既にプレッシャー」だった)、一作目でなまじ「天才」等と言われてしまったから化けの皮が剥がれるのが怖くて二作目作れなかったとか、思わぬ人間くささがあってよかった。もっとも、それはすでに対談の際に「普通の人間が恋愛だセックスだやっているときに〜」で示されていたといえばそうだが。笑
 
もう一つ好きなエピソードを挙げるとすれば、自分を客寄せだとわかっている声優ちゃんが、それでも舞台になった神社とかを訪れ、必死で感情移入しようとしていたところとかかな。監督の「昔の自分に見せたいアニメを作りたい」という理念も、行城から聴いていたという行城いい奴エピソードもあり、またこのインスタ情報は憧れの王子から得たものでもあり。声優の収録NGエンドレスエイト合戦はかくして終わったのだった。
 
ストーリーの主軸になっているのは、フィクション、あるいはフィクションは人を救うか、ということ。
 
具体的には、齋藤の隣部屋のいじめられている小学生──それはかつて魔法のステッキを捨てた齋藤でもある──を助けられるかどうかであった。「この世界は繊細じゃない。でもごく稀に、いいなと思える瞬間がある。君にも合う瞬間がいつか来る。」(大要)という話は、アニメ以上に刺さるセリフだった。
 
果たしてラスト、サウンドバックごっこを友人たちとしている小学生。
 
ベランダからそれを見て泣く齋藤。
 
そう、齋藤は賭けに勝ったのだ。
 
「人生、何かを失ってでも手に入れたい何かがある。人は何かを失ってもなお生きていける。それを描きたい。」という監督の認識変容で変更になった『サウンドバック』のビターエンド。いい出来だと思う。
 

新谷真弓さんが動画で出てるのも良い。『キルラキル』の蛇崩乃音や『プロメア』のルチアが好きなので。